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平塚らいてう=人間存在の根源を確認 [2021年04月05日(Mon)]
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【連続記事】マインドフルネスSIMT・評価の観察の證明

平塚らいてう=人間存在の根源を確認

 日本の禅は、正念、マインドフルネスの極限です。秋月龍a(故人、元花園大学教授)は、悟りを得た後も「正念相続」といいました。生涯の実践です。だからこそ、昭和の時代に「禅的生き方」という言葉もよくみられました。現代の無評価の観察を、常にどこでも生涯実践するひとがおられるのでしょうか。禅には、生涯、探求した女性がいました。

 日本は、今もなお、男女平等ということでは、世界中で、かなり遅れているという。世界経済フォーラムがまとめる男女格差が、156か国中、120位だという。(4月1日、朝日新聞社説)。そのような日本で、 女性の地位を高めようと運動した女性がいた。

 私は宗教者ではないが、深い自己を探求した人々を理解する。深い禅は、すべてを包む自己の根源を知るので、他を排除せず、他を包みこむ。欧米の」「マインドフルネス」は「宗教を排除」するということを主張するひとがいて、排他的なところがある。多分、無評価の観察のマインドフルネス以外の自己の探求をいうものは宗教だ、宗教は排除すべき、というような思想が透けて見える。評価しているのである。宗教は、ある意味では「排除」すべきであると評価しているのである。

 だが、それでいいのだろうか。女性の差別がひどくて、参政権もなかった戦前に、女性を差別から解放する運動をすすめた平塚らいてうは、深い自己を探求して、そこからジェンダーに関係なく平等であることを確信していた。

 平塚らいてうも深い自己の根源を知ったので、他の宗教を排除しないという。

 深い禅には宗派意識がない(注)ので、自我を脱落した教えをすべて肯定する。自我を脱落したところに自覚するものが、神、ほとけ、阿弥陀仏、仏性、絶対無、日本的霊性、無相の自己、無分節、などと何と呼ぼうと、同じものをさしていることがわかるからである。念仏の妙好人(讃岐の庄松など)、キリスト教(エックハルトなど)でも、そういう人がいる。

 らいてうの著作集によると、らいてふは、キリスト教を信じている娘に、自分の若いころを語る。哲学、キリスト教、綱島梁川の『予が見神の実験』、今北洪川の『禅海一瀾』、両忘庵に参禅したことなどを語り、禅はキリスト教をも包むものであるから、あなたがキリスト教を信仰することを止めないと語る。禅は排他的ではない。他の信仰者を無理にやめさせることはない。禅の真髄を悟ると、聖書のキリストの言葉が禅と通じるものがあるとわかるから、らいてふは、娘に「わたしは、キリスト教の髄を得ている」とまで言った。禅とキリスト教の深いところの類似性については、滝沢克巳や秋月龍aなどの著書に詳しい。

 らいてうは、娘にこういった。

「もしお母さんが禅をやらず、こんな自由な信仰をもっていなかったら−・・・ きっとお母さんはあなたの今の信仰や生活に対し、これだけの自由な、肯定的な態度ではいられまいと思うのですけれど−。」

「たとえ過去のお母さん自身は前に言ったとおり、キリスト教にはむしろ浅い因縁しかありませんでしたけれど、今日のお母さんはキリスト教がまとっている衣や、その衣の色や、形にその影などに迷わされず、かえって端的に、その骨を、髄を、生命そのものをつかんでいるつもりなのです。」

「あなたはまだキリスト教だの、仏教だの、神道だのなんのといって別々なものとして見えるのでしょう。しかし生命の真理(大道)を見るものにとっては一つです。」(四十九歳の時、著作集6巻、18頁)

 ロゴセラピーのヴィクトール・フランクルも、一人類教というのと通じるものがある。人種、性別に関係なく、平等の根源を持つというのだ。自己観察で探求するのであるから、自己の観察から「排除」などしないでほしい。

 今、若い女性の自殺が多い。生活苦や親からも愛されなかった自己、自分を肯定できないところから、生きる意味を失う、支援のない孤独など様々な要因が重なり、うつ病になっておられたのだろう。女性の地位が低い日本。平塚らいてうのいうように、深い自己を探求して自殺しないでほしい。女性を支援する社会を創ってほしい。学校は、そういうことを教えてほしい。

 日本の「マインドフルネス」は、エゴイズムの心理、闇の心理も観察してきた。平塚らいてうは、深い自己洞察によって得たもので、男女平等、ジェンダー平等を確信したのであれば、日本の自己観察である禅による「マインドフルネス」を「排除」しないほうがいいのではないか。日本人が言い出した「マインドフルネスは宗教を排除」したものという言質は、差別、排除を助長するおそれがある。宗教を人生としている人々は多い。全国の仏教の寺院を守る人々はそうである。キリスト教の人々も多い。
 世界共通のSDGsが進行しつつある時に、「マインドフルネス」の業界は、倫理的なガイドラインが必要なのではないか。

http://mindfulness.jp/sdgs/21-goal-5.pdf
★地方創生SDGs。男女平等の実現を。

(注)フランクルが「一人類教」というようなもの。平塚らいてうも宗派を超えたすべての人の共通の根源をみていて、宗派を超えている。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2633
★フランクルの一人類教

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4516
★人間存在の根源=多くの哲学者がいう

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2734
平塚らいてうに触れた記事

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4747

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4750
【連続記事目次】 マインドフルネスSIMT・評価の観察の證明
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4729
Posted by MF総研/大田 at 22:42 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL