CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«ジャーナリズムは権力者の行為を見て評価、批判する | Main | 哲学者池田晶子さんがいうように自分で善悪の判断をしないと権力者や専門家による差別、独断、偏見、弱い立場の人の苦悩がなくならない»
哲学者池田晶子さん「14歳の君へ」自分で善悪の判断をしなさい [2021年04月02日(Fri)]
【連続記事】マインドフルネスSIMT・評価の観察の證明

哲学者池田晶子さん「14歳の君へ」自分で善悪の判断をしなさい

 哲学者、池田晶子さんは、「自分で判断して行動しなさい」といったことを確認しました。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4756
 ここに、池田晶子さんが出てきましたので、善悪の道徳的判断をチェックしてみました。

 ジョン・カバット・ジン氏がいう「自分で評価をくださない」というのは、瞑想の時だけでしょう。 それ以外の時は、「自分で善悪の評価をくだしなさい」でしょう。 だから、「無評価で観察」は、瞑想以外の場面では、成立しないでしょう。ポージェスのポリヴェーガル理論もそのように問題を指摘しました。

 「マインドフルネス」は、科学なのですから、用いていい時、場を厳密に規定したほうがいいでしょう。そうでないと、先生も生徒も「悪」と言われる罪深いことをしてしまうかもしれません。実際、マインドフルネスの講義だという人たちが、「そんなことをしていいのでしょうか」と疑うべきことがみられます。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2431

 彼は、観察の理念を7つあげています。瞑想時であっても、(1)だけではなく、他の6つも、瞑想時以外のほうに守るべき定義かもしれません。そうであれば、マインドフルネスの「定義」は、(1)だけではなくて、(7)までの全部です。

 池田さんは、次のように言っています。

 「誰かが決めてくれた善悪に従って生きるのは楽なことだ。だけど、そんなものは信じられない。だって、それが本当かどうかわからないからだ。だから君は、これからの人生、すごく大変なことだけれども、常に自分で考えなくちゃならない。このことは本当によいことか悪いことか。その時その場で、自分で判断して行動しなければならないんだ。でもそうするのでなければ、どうして君が自由に生きるなんてことができるだろう。」(注、p97)

 ジョン・カバット・ジン氏の「マインドフルネス」の見方の「定義」(認識論)は、(1)の無評価だけではなくて、7つの全部ではないのでしょうか。しかし、具体的な実践論は、「瞑想」しかいわなかったのではありませんか。「自己とは何か」の実在論もない。 だから。彼は、「MBSRは東洋哲学の「扉」にすぎないというとともに「全体性」があるといった、そのように思われます。
     (今年は「マインドフルネス精神療法研究発表大会」を5月15日(土)に予定しています。この点について、議論しましょう。この点について、意見があるひとは、機関誌7号に投稿してください。)
 現実の場、時は、池田さんがいうように、自ら判断しなければなりません。現実社会で、誘われるまま、悪いことを言われるままに、発言したり行動して、「悪い」と批判される大人がたくさんいるではありませんか。

 欧米の「マインドフルネス」を14歳の人に教えるのは「待った!」ではありませんか。 「悪い」ことを、助長することがないように、時と場を考えるように。悪ではないかと評価した行為を見たら、自分の評価判断を信じて、信頼できる大人に相談しなさいというべきではありませんか。

 ジョン・カバット・ジン氏は7つあげていたのに、なぜ、(1)だけに限定したのでしょうか。 徹底的に考えてみる必要があります。もし、(1)だけを定義にし続けるのであれば、「瞑想時」にのみ用いるべきであるとか倫理的ガイドラインを定める時が来たのかもしれません。

 今にも「死にたい」と思うことの多い、うつ病の治っていない人に用いることも、本当にいいのかと評価判断する必要がありませんか。いのちがかかっています。うつ病のことを十分に知らないマインドフルネスの先生がおかしなアドバイス(マインドフルネスの科学だという)をすると、悪化させるかもしれません。

(注)
池田晶子『14歳の君へ  どう考えどう生きるか』毎日新聞出版
たとえば、これ!
こんな大人の社会が「善」なのか、「悪」なのか、自分で考えて。
 社会心理学=人の偏見、独断、差別心は簡単には消えないと。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4432
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4434
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4446

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3605
★大乗仏教が我見、身見、煩悩という、その個人の好き(執着)、嫌い(嫌悪、排除)に集約される評価基準をマインドフル ネス SIMT では「本音」と呼ぶ


【連続記事目次】 マインドフルネスSIMT・評価の観察の證明
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4729
Posted by MF総研/大田 at 21:15 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL