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(9)心理学は細分化され理論枠を評価基準とする [2021年02月14日(Sun)]
【連続記事】マインドフルネスSIMT・評価の観察の證明

(9)心理学は細分化され内部だけでしか通用しない理論枠を評価基準とする

 マインドフルネスも「心理学」の一つである。 米国心理学会の重鎮ジェローム・ブルーナーが次のような嘆きをしているという。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417
 「心理学が今ほど細分化された時代はない。・・・ 心理学を構成する各分野の間に交流があってこそ分業が意味を持つというのに、心理学は重心を失い、一貫性もなくなろうとしている。それぞれの分野ごとに固有の組織が生れ、その内部だけでしか通用しない理論枠に縛られている。研究発表も内輪でしか行われない。」

 マインドフルネスの学問も、「心理学」の細分化された一つだ。 広い観察があるのに、「無評価」という限定的な定義による心理学である。
 「無評価の観察」という基準をもって、評価している。これからはずれる観察方法か、この枠内の観察か「評価」している。「評価」して排除する言葉があるし、排除する組織もある。

 とにかく、現実の世界は「評価」の世界である。「無評価」では生きていけない。無評価で観察していいのは、瞑想の時だけである。

 この誤解によって、マインドフルネスは「宗教を排除」という偏見を生み出してしまった。自覚がないかもしれないが、この言葉は、差別心がある。「女性を排除」といえば、女性差別であるように、「宗教を排除」といえば、宗教差別である。
 いくつかの国では、独裁政権が「宗教を排除」する国があるかもしれない。だが、日本は、宗教は自由である。
 人間は、いつの時代も独断偏見を持つ。道元は、己見、我利、我執を捨てよという。大乗仏教は、悪見、我見、偏執見などに気づき抑制すべきという。今も、妥当する教えだ。 これは、宗教で教えていたことだが、今も守るべき自己観察である。
 辻さんが似たことを言っていたが、辻さんは、「宗教」だというのではない。現代人として、 自分の言葉、行為を観察して、自覚していない偏見に気づくべきなのだ。それが、自分の言葉、行為を評価観察することだといえる。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4733
 「人は誰しも無自覚な偏見を持っていますから、私自身も常々、人はいつからでも気づけるし、学べると肝に銘じています。」

 こういう自覚しにくい偏見独断、自己中心性のエゴイズムに気づくような心理的訓練をしなければならない、と教えてきたのが、道元、大乗仏教、西田哲学であった。 これは、見る、行為する時に、自己がこうした偏見等に汚染されていないか「評価」の表面にあげよということだ。まさに「評価の観察」であるはずだ。「観察」が科学であるならば、慎重に検討すべきだ。
 とにかく、現実の世界の現場は、「評価」する世界、「評価」される世界だ。その中で、いかに発言するか、行動するかを教える古来から日本にあった観察法にも学ぶべきだ。何が独断偏見であるかは、歴史、国、時代によって変遷し、新しい偏見が再生産されつづける。だから、「これが偏見だ」とすべてを列挙することはできない。たえず、新しい目で観察していかねばばならない。
 このようにいう言葉を嫌悪されるならば、それは「評価」しておられるのだ。理論枠を基準にして「評価」しておられるのだ。

 対人場面でない「無評価の観察」も重要であり、対人場面での「評価の観察」も重要であることの証明にならないだろうか。実は、詳細に観察してみると、瞑想の時にも、評価しなければならない偏見も動く。こういう定義による観察は、うつ病、PTSDなどの改善の効果がみられる。
 付言すれば、うつ病などで苦しむ人には、瞑想中にも、過去 、現在、未来の思考、感情、欲求が出てくる。そこにも、独断、偏見があるかないか評価する。こうして、重いうつ病、自殺念慮なども改善することがある。
 日本では宗教を排除という混乱がみられる。私は学者ではない。学者と称されるかたがたが学問的な検討をしていただいて、 「マインドフルネス」による指導者が守るべき倫理的ガイドラインを定めていただきたい。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3322
★マインドフルネスにも、倫理基準を


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3605
★大乗仏教が我見、身見、煩悩という、その個人の好き(執着)、嫌い(嫌悪、排除)に集約される評価基準をマインドフル ネス SIMT では「本音」と呼ぶ


【連続記事目次】 マインドフルネスSIMT・評価の観察の證明
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4729
Posted by MF総研/大田 at 21:52 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL