大乗仏教の観察は広いのだが、なぜ排除されるのかー開発者、研究者は宗教を排除とはいっていない [2020年12月06日(Sun)]
大乗仏教の観察は広いのだが、なぜ排除されるのかー開発者、研究者は宗教を排除とはいっていないアメリカ発の「マインドフルネス」の観察は狭い範囲です。 西田哲学は自己についての哲学には、認識論、実践論、実在論があるといいました。アメリカの「マインドフルネス」は認識論のようです。「見る」ということを重視しています。行為について、問題にしていません。ただし、リネハンの弁証法的行動療法の「マインドフルネス」は、実践論にまで及んでいると思われます。
★マインドフルネス、ACT、弁証法的行動療法の実在論、東洋哲学の自他不二 アメリカの「マインドフルネス」は、どこまで観察させるか、学として歴史が浅いので、詳細は今後の研究課題でしょう。 大乗仏教では、観察する時に、作用側と対象側を観察させています。作用側を「見分」といい、対象側を「相分」といっています。アメリカの観察はどうなのでしょう。「科学・学問」であれば、詳細を定義しないと、効果についての検証もあいまいでしょう。 仏教には、観察のほか、実践があります。戒律ある生活や六波羅蜜の実践です。初期仏教では、「四諦八正道」があり、「正念」が、その中に組み込まれています。「正念」で75もの心理を観察します。アメリカの「マインドフルネス」は、いくつ観察するのでしょうか。そして、作用と対象はどうなのでしょう。 宗教である「仏教」は壮大な体系をもっています。 アメリカの「マインドフルネス」(特に、MBSR)は、ごくごく一部をみているものです。ごく一面から見ての「科学・学問」で、宗教を排除するのですか。「排除」とは、価値がないという意味を含んだ評価、判断だと思います。アメリカの「マインドフルネス」は、そんなに強い価値判断の根拠にできるものですか。「無評価」ではありませんね。 開発者、研究者は宗教を排除とはいっていない当然ですが、執着、嫌悪が自分や他者を苦しめるので、初期仏教も大乗仏教もこれらの観察を重視しています。「排除」する気持ちになるのは、宗教を嫌悪する本音が背景にあります。ところで、「マインドフルネス」が日本に紹介され始めたころの参考書を検討してみると、アメリカの著者も日本に紹介した翻訳者、研究者はみな仏教に敬意をみせています。だから、「宗教を排除」と言い出したのは、これらアメリカの開発者でも初期の日本の研究者ではないかもしれません。生半可に「マインドフルネス」を学習して、本を書いたり、講演したり、インターネットで宣伝した人たちが、「宗教を排除」と勝手に付加して発言しているのでしょうか。「科学・学問」の僭称のようです。一般の人に、「宗教は排除」すべきものという誤った情報を広まらせるおそれがあります。 いずれにしても、アメリカ発の「マインドフルネス」の開発者、日本の研究者は、「宗教を排除」とは言っていないようです。 仏教、宗教が嫌いでそれと対抗する他の日本人が言い出したのではないでしょうか。これは、デマ、誤った情報、フェイク情報ですね。ずいぶん、広まっているので、対策をお願いしたいです。 「マインドフルネス」の悪用があるといわれています。マインドフルネスを悪くいわなければ、誠実なマインドフルネスの支援者のもとにいって救済されるかもしれないのに、残念です。 たとえば、30数年前、私自身が陥った苦悩は、当時、現在のどの「マインドフルネス」があったとしても、救済されなかったのは確実です。深い日本の禅で救済されました。これを参考にして、うつ病などを改善するものから、いろいろな人生の問題、「死」の問題まで、なんとか「マインドフルネス的」に言葉で説明して生涯実践できるようなものを開発したいと研究しています。 今、死にたくなったうつ病や不安症などで「マインドフルネス」が効果があるといっているので、いってみたら治るような「マインドフルネス」」ではなかったと、絶望して、マインドフルネス心理療法のすべてを回避する心を植え付けるおそれがあります。トラウマです。レベルの深いマインドフルネス心理療法ならば、治るかもしれないのです。 仏教も、正当な(注1) 「マインドフルネス」も、種々のものがあって、それぞれ必要とするクライアントが救済されます。互いに学問的な検討を続けて、共に社会に貢献していけますね。 (注1)「宗教を排除」といわないものでしょう。心の観察は、仏教という「宗教」で2千年の歴史をかけて研究されてきたので、大変洗練されてきています。今後も仏教という宗教が 人間の意識や闇の心の観察もして、差別、偏見、排除心に気づいて抑制し、すべての人が幸福になりたいということを認めて共生社会を実現していくことに 貢献すると信じています。 (注2)大乗仏教も宗教だが、利他、人間完成までもいう崇高な側面もある。これでも「排除する」のだろうか。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3939 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3940 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3889 ★大乗仏教の観察は深いのに、「マインドフルネス」はなぜ深い意識を探求するものが普及しないのか。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3962 ★西田哲学による批判。 (続く) 【連続記事・目次】宗教は排除すべきものですか? どこから? https://blog.canpan.info/jitou/archive/4701 |
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Posted by
MF総研/大田
at 09:12
| さまざまなマインドフルネス
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