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宗教を排除するのは共生の理念に違背 [2020年12月03日(Thu)]
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【連続記事】宗教は排除すべきものですか? どこから?

宗教を排除するのは共生の理念に違背

 「宗教を排除」ということを、多くのマインドフルネスの推進者が言っています。いかにも宗教は悪いものという響きがあり、偏見が広がりそうです。根底に「宗教嫌い」という本音がみえかくれします。嫌悪は自由ですが、宗教をよく知らずに、「科学」をひきあいに出して「宗教を排除」したものというのはいかがなものでしょうか。
 宗教は憲法でも許される存在であり、多くの場所で社会的な貢献をしているものです。生きがいとする人、これを必要とする人もいます。宗教でないと解消されない悩みもあるはずです。排除すべきものと解釈されそうな言葉は差し替えたほうがよろしいのではないでしょうか。

 今、「共生社会」の実現が世界的なテーマになっているのに、日本人の「マインドフルネス」の解釈は、これに違背し、分断を助長するおそれがあります。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4635
【連続記事目次】鈴木大拙・鈴木禅哲学の「共生」の思想 「禅者の社会観」

    1 同化や排除ではなく、お互いの違いを違いとして承認して生きていく。
    2 対立・抗争を認めるが、暴力による解決は否定する。
    3 実質的な平等性とコミュニケーション的関係を追及する。
    4 差異の中での自己実現と相互拡張をはかる。
    5 「共生」の欺瞞(隠された抑圧)を暴露する。
    6 力関係における対等性をはかる。
    7 お互いの個性や聖域を多用性として尊重しつつ共通理解を拡大していく。
    8 相互援助・協力から新たな共同性を探る。
    (竹村牧男『宗教の核心』春秋社、p192)
 「排除」の意味は・・・。

 「排除」とは「不要なもの取り除くこと」「対象に入れないこと」「独裁的な政治体制において、反対派を取り除くこと」だそうです。(Weblio辞書)

 不要ですか。対象に入れたくないですか。見えるところから消えてほしいものですか。

 激しい排他的思想、行動になりますね。

 金子みすゞにも違背します。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2362

 このような意味のある「排除」思想を持つものならば、宗教者が「マインドフルネス」に参画してこない理由かもしれません。
 こういう「マインドフルネス」ならば、死にゆく患者さんのそばには行けませんね。宗教を知りたいそうですから(注2)。

 日本の「マインドフルネスの推進者」は、共生の理念はないのですね。ジョン・カバット・ジン氏は本当に「排除」といっているのですか。日本人が、それを付加したのではありませんか。 宗教が理解されず、「マインドフルネス」「宗教」「排除」という言葉が連結される。これは、重大な問題です。放置しないほうがいいと思います。
 この一連の考察がすんだら、 <宗教を排除しない「こころの時代」制作の> NHK(注4)のアメリカ支局を通して、アメリカの最近の実情を調査してもらうよう依頼したいものです。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2718
★自燈明法燈明
 ご自分で真剣に考えて宗教を嫌悪し排除されますか。誰かいったのをそのまま書いていませんか。宗教はこういうすばらしい考え方もあります。それでも排除しますか。学問的な議論をしませんか。

    (注1)マインドフルネスSIMTは、「宗教を排除」しません。当たり前です。禅ですくわれました。当時、現代の「マインドフルネス」の支援者のところにいっても救われなかったでしょう。いくつものもの禅の寺をたずねました。その禅がなかったら、私はうつ病で自殺したかもしれません。宗教的でない階層(自己中心的我利我執の意識の評価観察を重視)と宗教的(超越的)な階層(自己の真相、生死観)を西田哲学で知りました。区別を明確にして、それぞれ、求めるクライアントに提供したいと考えています。人を苦しめる独断偏見を仏教が教えてくれました。宗教のすばらしいところですが、宗教レベルではありません。専門家でも、自分の立場、利益のために、排除、忖度、偏見、無視、傍観、傲慢などを起こすといいます。科学者のつもりの人が科学学問の進展を妨害します。「闇の心」に気づく、観察、よくないと評価して抑制する訓練の、宗教でない階層です。

    (注2)大津秀一「死ぬときに後悔すること25」致知出版。

    (注3)宗教レベルのマインドフルネスは、たとえば、ハリファックスのもの。西田哲学を実践化した宗教レベルのマインドフルネスSIMT(現在執筆中)、宗教者が臨終のそばに呼ばれること、など。

    (注4)NHK E テレビは、宗教を排除しない。宗教の社会的な貢献の大きい宗教を紹介する。その一例である。
    https://blog.canpan.info/jitou/archive/3567
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4669
★学者もまじめな学問的論争をせず、批判者を排除することがある

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4653
★差別心、利己心は意図的か

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2344
★個人も悪を犯す、社会も悪を犯す
 =社会的表現をする場面で無評価でいいはずがない。社会悪の典型が独裁政治における人道的な抑圧、排除、暴力、殺戮。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4660
【目次】日本学術会議、6名任命されず、科学学問の自由の侵害と学会、思想家が批判
 この連続記事の中にも、むしろ学者の独断の記事がある。



【連続記事・目次】宗教は排除すべきものですか? どこから?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4701
Posted by MF総研/大田 at 08:43 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL