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【連続記事・目次】宗教は排除すべきものですか? どこから? [2020年12月01日(Tue)]
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★相談会(埼玉県)
★がん患者さん、ご家族もどうぞ。マインドフルネス総合研究所の会には、いつも、がん患者さんやご家族が含まれています。


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★死なないで

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★「死にたくなる」根源

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★自殺念慮は長引く(日本財団の研究発表)
 相談してうつ病からの「死にたい」であることがわかったら、完治への治療を!
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★産後うつ病もながびくので、改善する方策を!

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★非定型うつ病、治りにくい

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★蓮田市老人福祉センターでの「マインドフルネス心の健康体操」
 12月22日、1月12日、26日。(午前10時45分から1時間)

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☆患者家族会を作りませんか
【連続記事・目次】宗教は排除すべきものですか? どこから?

自殺者増加、深いマインドフルネスでも支援できるが・・・。

 マインドフルネスには浅い、深いの違いがあり、無評価の観察ではこういう精神疾患では治りにくい。なぜなら、感情は「評価」の結果です。評価は避けられません。集中力の問題ではありません。無評価の問題ではありません。うつ病などに詳しくない主催者にも注意を。うつ病、不安症などは、治るまで、薬とは違って1年近くかかります。

 マインドフルネスには「誇大宣伝」がみられます。階層の違うマインドフルネスに誘われて、治らず、マインドフルネスにも絶望して自殺に至ることもありえます。専門家は、みな、叡智的自己であり、自分の 利益を優先します。「マインドフルネス」には、倫理道徳の自己を観察することが含まれていないからです。うつ病もと書いてあるのでと参加してみたら浅いマインドフルネスで、うつ病などが治らずに、絶望させて、自殺されるおそれがあります。うつ病などの改善は簡単ではありません。種々の心理の影響を評価するトレーニングをして、1年くらいかかります。

 マインドフルネスの実践者に、倫理基準が必要だと思います。学会がガイドラインを作ることを希望します。マインドフルネスの研究者が、マインドフルネスは科学である、宗教を排除したものと受け止められるような言葉を生みだしたと思われます。うそでも、誇大宣伝でも、誤解による誘導の利益の闇の心(注1)も「無評価」でいいような風潮になっていることが心配されます。エゴイズムの観察評価は、宗教では強く主張します。それも宗教であるとして排除するのでしょうか。

 禅は、宗教的倫理、戒律が前提となっていますから、こんな心配はありませんでした。殺すな、うそをつくな、不倫するな、他者を苦しめるな、などです。
 しかし、「マインドフルネス」を推進している人に、人道的な倫理的ガイドラインがありますか。無宗教、無評価なら、何をするかわかりません。 「マインドフルネス」を標榜する人に、順守すべき「倫理的ガイドライン」の順守を求めたい。宗教的倫理ではありません。人道的な倫理です。今の「マインドフルネ」では、それを観察させていません。自分のことば、行為が仏教でいった闇の心理で汚染されていないか評価していません。つまり、エゴイズムの意識の評価観察です。

 自分のマインドフルネスがどの流派であるか理解していることの明確化、効能の誇大宣伝をしない、うそをつくことをしない、学問的議論を排除しない、学問的な批判者を 多数派工作をして排斥する ことをしない、などが含まれるでしょう。学会が提案していただきたい。提案されれば「学問的な」評価、批評が提出されるでしょう。それで、多くのひとが納得できるガイドラインができるでしょう。マインドフルネス業界のガイドラインとでもいうべきものです。

 問題に応じて、適切な階層のマインドフルネスを選択してください。

注1)闇の心。大乗仏教は、煩悩という。道元は己見、我利、我執という。 自分の感覚、思考、欲望、行為が、汚染されていないか評価するトレーニングが含まれる。SIMTはこれも観察する。
 右矢印1 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3589

 学問的に批判する人を排除するのは、傲慢です。これも煩悩にあります。宗教でなくても、禁止行為です。セクハラ、アカハラ、パワハラなどもそうです。衝動的な欲求が起きた瞬間、悪いことだと「評価」しなければなりません。「無評価」の観察は、対人場面、仕事、病床、学校の現場には不向きです。ポージェスのポリヴェーガル理論も そう主張しています。
 ハリファックスの「死にゆく人と共にある」マインドフルネスには、無評価の観察を超えた観察も用いられています。学問は時代環境の変化につれて新しい知見によって進展するはずです。 学問的な検討をお願いします。
(このブログは、記事別にアクセス数を表示する機能があります。もちろん、アクセス者はわかりません。)
【今朝、9時までにアクセスが多かった記事より】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3881
★傲慢人間の意向を忖度するイネーブラー(支え手)3段階

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★言葉に縛られる

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3592
★大乗仏教からの初期仏教批判
  現代にふさわしい哲学が必要
 現代の「マインドフルネス」も大乗仏教から批判されるでしょう

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3460
★大学で講義したこともありましたが・・。
 ハリファックスのマインドフルネスは無評価の観察を超えた観察が含まれるので、アメリカでは広く活用されています。宗教的な命題(自他一如、絶対無に相当するもの)がたくさん出てきます。日本では難しいでしょうね。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2838
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2908
★リネハンの弁証法的行動療法の「マインドフルネス」の定義はMBSRよりも深く広い

 すばらしい定義です。しかし、まだ、不明確なとことがある。「共生」と「宗教」的なことについて明確にしてほしい。「科学」の名前で、排除、偏見を助長しないために。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3612
★「宗教を排除」という言葉、背後に気づきにくい偏見や我執。



【連続記事・目次】宗教は排除すべきものですか? どこから?

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4710
★脳科学者は対人場面では気づき評価するといっている

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4709
★人数が少なくても救済されるべき人がいるので排除などといわないで

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4708
★「医療を守るのは、ベッド数ではなくそこに働く人だ」
 〜「自殺から救うのは、論文や本ではなく、臨床で働く人だ。」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4706
★ 大乗仏教の観察は広いのだが、なぜ排除されるのか
 ー開発者、研究者は宗教を排除とはいっていない

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4705
★ 宗教を排除するマインドフルネスはどこまで観察するのか

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4703
★ 宗教を排除するのは共生の理念に違背

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4702
★宗教は排除すべきものですか? どこから?

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4701
★自殺者増加、深いマインドフルネスでも支援できるが・・・。
 浅いマインドフルネスに参加して絶望させるおそれ

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3614
マインドフルネスはすべて宗教かも
 =臨床心理学は扱えないのではないか
 死にゆく人ではエビデンスのとりにくい宗教哲学?
★たとえば、「がん哲学外来」のような領域は、「マインドフルネス臨床心理学」では扱う人、研究する人が極めて少ないということになるでしょうから。日本人ならば、日本的霊性(鈴木大拙)、禅的生き方、西田哲学に親しみを持つ国民ですから、日本的なマインドフルネスで、支援できるはずです。「マインドフルネスは宗教を排除したもの」という言い方は、宗教が悪いみたいな言葉ですね。宗教者は残念でしょう。この言い方は、アメリカ人ではないですね。アメリカ人は、宗教を持たない人こそ、警戒されています。 宗教を持たないひとは、宗教的倫理を持たず、最終の審判者がエゴイズムの自分です。宗教者には、宗教が要請する倫理があります。だから、宗教は尊敬されています。宗教を排除するというのは、差別の一種です。
Posted by MF総研/大田 at 08:39 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL