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(9)無常、無我、自由を悟る [2020年11月19日(Thu)]
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4683
★相談会(埼玉県)
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【書籍紹介】「死にゆく人と共にあること〜マインドフルネスによる終末期ケア」ジョアン・ハリファックス

(9)無常、無我、自由を悟る

 6章は、「あなたはすでに死につつある――無常、無我、自由を悟る」です。 無常、無我は初期仏教にもありますが、ハリファックスのものは、無常、無我、縁起を理解することではありません。読めばわかりますが、禅の悟りです。体験するのです。根底の無常、無我を体験することです。それには修行が必要だと言っています。6章は、西田哲学、井筒哲学、鈴木禅哲学のような、内奥の深い絶対無、無分節の有様と類似します。それを観ましょう。

 「興味深いことに、苦しみが深くなるまで、内面的な作業を始めない人たちがいます。これは少し遅すぎるかもしれません。なぜなら、私たちを駆り立てる心の習慣は根深く、ほんの数日、数週間、数ケ月のうちにその根を抜くことは、可能だとしても、それほど簡単なことではないからです。・・・・ 悟りは偶然ですが、修行は偶然を起こしやすくします。」(p90)

 「しかし、百聞は一見にしかず、です。私たちの生活のなかで、相互のつながりや無常が本当に現実のものになるには、それを直接、個人的に体験する必要があります。」(p95)

悟ったら

 死んでいった友人がこう書いたそうです。

 「洞察を得たことで自分のアイデンティティが根底から転換したことを、彼は友人たちと分かちあいました。彼はこう書いています。 「私のアイデンティティは、私の人格の多くの側面の総和ではありません。そのもっとも透明なところでは、私はあらゆる人やあらゆるものと共にあり、そうしたすべてが統合されています。そしてこの統合された全体は『寛大なる愛』の神秘に支えられています。この転換の影響が感じられるので、私は、自分が死ぬことはないのだとわかっています、」(p93)

 このような言葉も不可解ではありませんか。久松真一も「わたしは死なない」といったそうです。「全体」も言及されています。女ジョン・カバット・ジンが言った一生かけて探求する「全体性」でしょう。

★永続する分離した「私」はない=無我
 西洋の人は無我を理解することが難しい(p94)といい、次のこっとが真相だという。

 「もし私たちが他者と分離していないこと、固有なアイデンティティなど何もないこと、時間と空間に固定されていないことを悟ることができるなら、私たちの苦しみは減少するか、終わりになることすらあります。」(p95)

 このあと、上記の 「しかし、百聞は一見にしかず、です。私たちの生活のなかで・・・」が続いています。つまり、「無我」は、体験するものです。この点は、日本の道元禅師と同じです。

 この6章でも、前記赤字の「もっとも透明なところ」、もっとも深い場所、対象的にならない場所、絶対無、無分節を体験することがハリファックスのすすめる「死にゆく人と共にあること」の前提になっています。そして、この悟りが、死にゆく人自身の苦の解放になるともいっています。 「私たちの苦しみは減少するか、終わりになることすらあります。」(p95)

 西田哲学が場所の論理で説明した悟りの体験によって、意識される「私」は、根底の絶対的一者が自己否定して転成したものとして自覚する「人格的自己」に目覚めることだと思われます。絶対的一者、絶対無、東洋的無(久松真一)、日本的霊性(鈴木大拙)、無分節(井筒俊彦)として、日本では哲学者が説明しているのですが、それを体験するわけです。ハリファックスの本に「百聞は一見にしかず」ということ「一見」しようということが述べられています。
 日本は、初期仏教の「正念」マインドフルネスをアメリカの人から教えてもらいましたが、日本の禅にもあったものです。そして、今度は、悟りをハリファックスから教えてもらっています。日本のひとは、自分の国にある宝を発掘できないで外国に求めるのです。自分の祖先が残してくれた蔵にあったのに。

 「彼が自分の外に求めていたものを、今や彼は自分の内側に見出したのです。」(p93) i

 アメリカのマインドフルネスのひとは、宗教を「排除」などしません。日本のマインドフルネスの研究者が「排除」という言葉を使うと、偏見を助長しそうです。「マインドフルネス、自己の観察は、宗教にかかわらず、どの宗教の人でもできるもの」というのが誤って解釈されたのでしょうか。MBSRは、もっとも深いものを目指さないので、宗教レベルではありませんが、ハリファックスのプログラムは、宗教レベルですね。深い禅の哲学と実践ですね。

 前の記事でも「透明」の言葉がありましたが、上記にも「透明」という言葉が出ています。「透明」という言葉で、すべての人の最も深い根源を説明したのが井筒俊彦です(『意識と本質』)。同じようなことをハリファックスもいうのです。

(自己の観察は浅いもの深いものがあります。ハリファックスも階層を述べています。最後にそれを見ます。)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4687
【書籍紹介】「死にゆく人と共にあること〜マインドフルネスによる終末期ケア」
 ジョアン・ハリファックス、井上ウイマラ監訳、春秋社、2015
Posted by MF総研/大田 at 19:16 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL