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私の友が永井隆にあっていた [2020年11月08日(Sun)]

NHK 朝ドラ「エール」に、至誠の人 永井隆 (8)

 =私の友が永井隆にあっていた。その兄が永井隆の教え子で医師だった

 NHK総合テレビで放映された朝のドラマ「エール」に永井隆博士が登場した。

 永井氏のことを紹介してきましたが、実は、私の長年の道友が、永井隆に会ったことがわかりました。その人(Aさん)とは、20年ほどの坐禅の友でしたが、亡くなりました。そのAさんの奥様(Bさん)におあいして話していました。Aさんは、亡くなっておられます。 以下は、Bさんからお聞きしたことです。

 お二人が結婚なさったいきさつをおききしていたのです。Bさんは郵便局に勤めていました。その頃、Aさんの姉が、弟Aさんとお見合いしてくれと頼まれました。遠くの地に行き、見合いしました。すぐに結婚したわけではなく、離れた土地から2年ほど文通しました。 Aさんから、Bさんに、本が送られてきたそうです。「喜びも悲しみも幾年月」と「内村鑑三」の本だったそうです。
 それを聞いた時、私は「それでは、永井隆の「長崎の鐘」もありませんでしたか」と尋ねました。すると、「ええ、夫は永井隆にあったといっていました。」というのです。驚いて詳しくおききしました。
     Aさんの兄さんは、戦前、長崎医大で、永井隆にも教えを受けていた。卒業して医師となり、軍医として戦地に出征。終戦まもなくの頃、戦地で行軍中敵兵に撃たれて死亡。
     その兄の遺品が、弟Aさんに届けられた。その中に、内村鑑三の本もあった。家族は、永井隆が天主堂のそばの家にすんでいることをしり、Aさん(18歳くらいだった)が、兄の戦死を伝えるためと、お世話になった御礼にと、食料などをリュックサックにいっぱい詰め込んで、長崎に行き、永井隆にあった。如己堂でAさんは、永井隆にあったのです。
 Aさんの兄さんは、永井隆に教えを受けたとき、内村鑑三のキリスト教にも接したのでした。Bさんの話によれば、Aさんも、内村鑑三を読み、心酔して、教えを守ろうとしていたそうです。「他者のためになれ」という気持ちを持ち、結婚してからも、よく、困っている人の面倒をみていたそうです。収入が少なくて困るのによく、他人のお世話をしてあげていたそうです。
 生活に困って、Bさんが実家に伝えると、実家から日本刀を送ってきたので、それを売ってしのいだこともありました。

 Aさんとは、二十数年前、坐禅会を通して、お会いして、20年くらい共に坐禅した友人です。 高齢になり、怪我をされるまで、20年、坐禅をなさいました。最近、Aさんはお亡くなりになられました。 Aさんは、たしかにひとにやさしい人でした。内村鑑三のキリスト教の精神だったのですね。このことは、生前には私はお聞きしませんでしたが、Bさんには、「大田さんの教えと内村鑑三と似ている」と言っておられたそうです。だから、私と友になってくださったのでしょう。「すべての人の内奥に絶対者が働いている」ということでしょうか。Aさんは信仰あついひとです。郷里に観音堂を建立しました。そこも訪問したいところです。
 Bさんにお会いして、このような話をお聞きしたのです。私の友が永井隆にあっていました。いつか、長崎の如己堂に行きたいと思います。そして、Aさんもここに来たのだとしのびたいと思います。もし、史料があれば、Aさんの兄のことが記録があるかお聴きしたいと思います。 永井博士とAさんのご冥福をお祈りします。

永井隆ー参考文献
A.『この子を残して』 永井隆 発行所:サンパウロ
B.『長崎の鐘』    永井隆 発行所:サンパウロ


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4675
【目次】NHK 朝ドラ「エール」に、至誠の人 永井隆

http://mindfulness.jp/shoki-nihonbunka.htm
★マインドフルネス心の世界遺産

Posted by MF総研/大田 at 19:38 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL