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美しい日本の心、至誠が失われたか [2020年10月17日(Sat)]

美しい日本の心、至誠が失われたか

 昭和の時代には、まだ、美しい日本の心、至誠の人が多くおられました。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3498
★自分の言葉や行為が至誠であるか

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2676
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3532
★河井寛次郎-至誠の人

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4281
★至誠の人・大山忠作画伯

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3691
★「至誠」の人、武者小路実篤、新しき村

 それなのに、平成、令和の時代は、至誠が失われた、と後世の歴史が総括するのでしょうか。

 これを嘆く人々がおられます。「至誠」でなくなった日本人、そのキーワードだけを記載。 全文は、朝日新聞デジタルでどうぞ。こういう真っ当な言葉がみられてホッとします。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14659705.html
★朝日新聞 耕論 2020/10/16

■自民党内に危機感の薄れ 斎藤健さん(衆院議員)
    「日本人の組織には究極の危機時においてもなお、意思決定過程において忖度がはたらき」「この弱点は「自分ファースト」の時代にはより強く現れます」
■姜尚中さん(政治学者)
    「かつての自民党の強さは、党内に多事総論があることでした。「長いものには巻かれろ」といっていられるのは、その強さが失われて・・・」
■中園ミホさん(脚本家)
    数々のヒット作のドラマを書く中園さん
    「せめてドラマはスカッと」
    登場する女性の主人公は
    「権力にこびることなく「自分の足で立つ女性」
 どうして、組織をむしばみ苦悩する人達を無視していくことになる自己中心的エゴイズムは抑制すべきことが大学で教えらないのでしょうね。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3616
★専門家のエゴイズム

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
★「大衆の反逆」オルテガ  多数という「驕り」
 =大学に多いというオルテガ

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3853
★「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3540
★あなたの組織には言論、学問の自由がありますか

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3669
★学者は平気でうそをつく

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3795
★誰もが隠し持つ後ろ暗いボタン
 =我欲我利我執を優先

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2669
★学問における全体主義、画一主義、還元主義は多数派になりやすい
 学問的な少数派を排除

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3679
★個人を幸福にしない日本の組織

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
★ 専門家多数派のエゴイズム
 「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社
 『差別はいけないとみんなはいうけれど』

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3450
★マインドフルネスも深いものがある
 「マインドフルネス」=正念=自己の観察、
 深いマインドフルネスは、深刻な問題の解決を支援できる可能性がある

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2908
★リネハンの弁証法的行動療法のマインドフルネスは 無評価で見るだけではない、
 リネハンには、根底に「賢明な心」もあう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236
★第4世代の認知行動療法
 見る、考える、行動が「自分他者の価値実現的はどうかその瞬間に評価する」=深い禅者は常に「正念相続」といって日本にあった。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3460
★早稲田大学で、日本の深いマインドフルネスを講義した。深いマインドフルネスは、難しい深い苦悩を臨床的に現場に出て解決することをめざすが、それを研究する人は大学にはいないようだ。なぜなのか。大学にも学問の自由があるわけではないように見える。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4660
【目次】日本学術会議、6名任命されず、科学学問の自由の侵害と学会、思想家が批判
Posted by MF総研/大田 at 22:03 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL