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(10)鈴木禅哲学の共生思想(3)国家は覇権主義・全体主義的であってはならない [2020年09月03日(Thu)]
【連続記事】鈴木大拙・鈴木禅哲学の「共生」の思想 

(10)鈴木禅哲学の共生思想(3)国家は覇権主義・全体主義的であってはならない

 マアルーフ氏の共生の理念は、人間の尊厳と自由を侵害しないことだが、西田哲学にも共生の思想がある。そして、西田と鈴木は一体ともいわれる。であれば、大拙にも共生の思想があるだろう。「禅者の社会観」をみている、
 大拙の「禅者の社会観」7か条を竹村牧男氏が紹介している。その第3である。

 「3、自主的とは合理的であるということになると、これを集団組織体の上で考えると、八紘一宇などといって、無闇な侵略的帝国主義を肯定することでないと いうことになろう。自主的に国家を樹立するとは、他を排すること、圧すること、虐待すること、利用することではないのである。 自ら主人公となるものは、またよく他をして他自らの主人公たらしめるものでなくてはならぬ。 個人の上でも国家の上でもその通りである。自主性のあるところには、抑圧・横暴・侵略などというものは、いかなる意味においてもあり得ない。」(p102-3)

 このように、鈴木禅哲学には「共生」の理念がある。まさに今、世界中に全体主義的、覇権主義的国家があるようだが、鈴木禅哲学の禅はこれに反対する。西田哲学もそうであるのだが、西田哲学を誤解する人が時々現れる。

 上記が、鈴木がいう「禅者の社会観」の第3である。これが、禅の専門家や集団でも実現されているだろうか。"No!"であれば、鈴木の考える禅者の社会観とは異なる。もちろん、思想の自由だ。西田も、現実の集団は彼があきらかにした仏教の本質とは違っていると批判していた。平成はどうだったであろうか。

 鈴木によれば、禅は他国への抑圧、横暴、侵略はない。帝国主義を否定する。他国も主人公たらしめる。支援的、共生的である。鈴木の禅は、ただ坐禅するだけではなく、世界の国の共生、平和の哲学もある。当時の禅や仏教を超えているであろう。現在はどうだろうか。

 このような国家対国家の共生の思想があっても、あの太平洋戦争の時代には、禅も仏教宗派も仏教の学問においても弱かっただろう。あからさまにいうと、投獄されただろう。今の日本はこのようなことを主張できる言論の自由、思想の自由があるが、現在でも自由に主張できない国があるようだ。
 最近の科学学問は「データで証明」できないと科学ではないときめつけられる雰囲気もみられるが、こういう思想や哲学は数量的データでは示すことはできないが、やはり、論理的に肯定すべきであろう。
 (私の「マインドフルネス」も数値的エビデンスはまだ不十分である=精神医学に知られていないので改善例が少ないから=が、こういう人文科学的課題は数値のエビデンスはなくても、論理的に合理性があれば、認めるべきであると思う。特に、がん哲学外来でも扱う死の不安の支援方法は数値化が難しいだろうが、社会には必要である。)

 この第3は、主に国家対国家の関係における共生をいう。では、集団内はどうであろうか。第4になる。

   (編集中です)

    【参照文献】竹村牧男(2012)『宗教の核心』春秋社。

(続く)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4635
【連続記事】鈴木大拙・鈴木禅哲学の「共生」の思想 〜目次

(この連続記事は、次の記事の脇道として開始しました)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4630
【書籍紹介】『アイデンティティが人を殺す』
アミン・マアルーフ、小野正嗣訳、筑摩書房

(目次)

Posted by MF総研/大田 at 21:41 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL