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(30)ジョン・カバット・ジン氏もそのマインドフルネスは浅いと 認めるのだから留まらずにそれを越えたステップへ 認めるのだから固執してはいけない [2020年08月05日(Wed)]

(30)ジョン・カバット・ジン氏もそのマインドフルネスは浅いと 認めるのだから留まらずそれを越えたステップへ

 前の記事で、多くの専門家が独断偏見によって自己主張していることを批判する人たちがいることを知った。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4611
★専門家=叡智的自己は自分を奢り他者を苦しめる傾向

 ジョン・カバット・ジン氏の注意の言葉から、現実の人間、世界は非常に広く、深いことを理解するよすがとしたい。そして、どこでも「無評価」の観察だけが、科学であり、他の観察は宗教だから公教育の場でするようなものではないようなふうに誤解される風潮はやめてもらいたい。教育、ビジネス、医療、種々の場でエゴイズムで苦しめられる人がいる。自分の見かた、考え方、欲望、行動に無評価であってはならないのだ。自分の意識がエゴイズムでないかどうか観察し評価して抑制すべきであることが重要であることは良識ある人は理解するだろう。

 そして、氏が尊敬する道元禅師に”全体性”があることを認めているのだが、日本の仏教学は、道元禅師のこのこと(全体性)を指摘しなかった。西田幾多郎、井筒俊彦、鈴木大拙、竹村牧男氏などはこのことを指摘した(絶対的一、すべてを否定しすべてを生み出す根底)のに、多くの仏教学者は認めなかった。だが、また、大竹晋氏が指摘した。道元禅師の解釈を学者のように解釈すると大乗仏教ではなくなってしまうが、それでいいのだろうかという重大な問題をはらむことが明らかになった。  ジョン・カバット・ジン氏も道元禅師に坐禅だけではない深いもの(全体性)を認めているのだから、仏教や禅の学問がかなりおかしかったことになるのではないか、再検討を願いたい。そうでないと、日本の偉大な哲学者としての道元禅師を埋もれさせて、現代社会の問題に貢献できるかもしれない宝を活用できない。ジョン・カバット・ジン氏は、「「分裂した思考も、恐怖、弱さ、不安なども乗り越 え ることができる。絶望さえも乗り越えることができる」という。

 次の記事で、ジョン・カバット・ジン氏の注意を見た。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3085
★ジョン・カバット・ジン氏のMBSRは浅い、全体性(=人間の根底、真の自己の基礎)に入る扉の前にすぎない=ご自身が言っておら れる

 彼の言葉である。
     「「マインドフルネス瞑想法」のトレーニングは、一般的に行われ ているリラクセーション・テクニ ックやストレス対処テクニックとは 明らかに異なっています。最も大きな違いは、このプログラムが 、 ”全体性”を直に体験するための扉を提供しているという点です。」

     「”全体性”は、生まれたときからもっていたものです。つまり、 ”全体性”という視野をもつことで 、今までとは違ったとらえ方がで きるようになり、分裂した思考も、恐怖、弱さ、不安なども乗り越 え ることができるということです。絶望さえも乗り越えることができる のです。
     しかし、”全体性”や”内的な結びつき”を理解するのは、一生の 仕事です。瞑想トレーニング は、それらを理解するために意識的にふ みだした最初のステップにすぎないのです。」

     「これまで、多くの偉大な思想家たちが、”全体性”という概念や 、自分の人生の中で”全体性”をどのように認識していくか、という ことを追及してきました。スイスの偉大な心理学者ユングは、東洋の 瞑想の伝統を高く評価していました。彼は、「東洋の冒険的な思想家 たちは、この問題(”全体性”への到達)を二千年以上も追求してき た。この点、西洋の方法論や哲学理論などの業績は、東洋の業績を前 にすると色あせたものになってしまう」と書いています。ユングは明 らかに、瞑想と”全体性”の認識との関係を理解していたといえます 。」
 この注意で明らかになったジョン・カバット・ジン氏の考えはこうである。

◆1>最初のステップ= MBSRのマインドフルネス・プログラム 

(無評価で観察)で有名。
このプログラムが 、 ”全体性”を直に体験するための扉。
瞑想トレーニング は、それらを理解するために意識的にふ みだした最初のステップにすぎない。

◆2>一生かけてするステップ
 一生の 仕事になる。

◆3>最終のステップ? ”全体性”や”内的な結びつき”を理解する
”全体性”は、生まれたときからもっていたもの。 ”全体性”という視野をもつことで 、今までとは違ったとらえ方がで きるようになり、分裂した思考も、恐怖、弱さ、不安なども乗り越 え ることができる。絶望さえも乗り越えることができる。
”全体性”や”内的な結びつき”を理解するのは、一生の 仕事。

◆4>いや、もっと、先がある?

 東洋哲学には、一生かけてする仕事があるのだが、それは何か。氏は、決して、ここも「無評価」の観察といっているわけではない。彼は、この部分には、MBSRでは言及していない。

 この部分は、東洋、道元禅師というのだから、日本の宗教者や学者が研究すべきであろう。最初のサイは投げられた。あとは、我々がひきつぐべきだろう。日本では精神的な問題が多いのだ。ジョン・カバット・ジン氏は、「分裂した思考も、恐怖、弱さ、不安なども乗り越 え ることができる。絶望さえも乗り越えることができる。」というのだ。これを無評価、放置していいわけがない。 特に、マインドフルネスを日本に紹介してここまで推進している研究者にしてもらいたい。専門家でない学生、一般人には難しいだろうから。
 なお、西田哲学によれば、この直前まで、「宗教」的ではないから、公教育やビジネスの場でも問題ないだろう。知ってのとおり、セクハラ、パワハラ、自己保身、忖度、迎合、いじめ、改竄、誹謗中傷、暴力、虐待、不正などで他者を苦しめるエゴイズムの心理を観察し評価し抑制すべきというのは、宗教ではない。

 大切な注意点は、次のステップの観察について、彼は言及していない。次のステップは、「無評価の観察」であるかどうかは触れてはいない。だが、無評価の観察ではない可能性が高い。 観察する時が、ひとりで瞑想する、ヨーガ、ボディスキャン、歩く、食べる場面を出た時に、広がるはずであろうから。 大乗仏教や道元禅師は、独断、偏見、我利、我執を観察して抑制すべきことを強調していたから。

 大乗仏教の大智度論は、一つところに留まるな、禅定の喜びに留まるな、といったのである。大智度論は道元禅師が尊敬した龍樹の著作である。道元禅師を代弁しているとみてよいだろう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425
大乗仏教の専門家の態度
大智度論の無住処涅槃
 =自己満足に留まらない

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2427
<第2> 禅定の喜びにとどまらず他者支援の行動を

https://blog.canpan.info/jitou/archive/1983
<シリーズ>うつ病や不安障害がなぜ薬物療法だけでは治らないのか、自己洞察瞑想療法(SIMT)で治るのか
(こういう苦悩が宗教的ではないステップであろう。MBSRを越えているが「全体性」の深いステップではなく、中間である。中間でも、浅いほうである。 ジョン・カバット・ジン氏がいうように、これらは改善支援ができるだろう。氏がいうのは、これよりも深いものだから。 がん患者、ALS患者、高齢者の新型コロナウイルス感染症の患者が死と闘う苦悩が深いものと思う。)

 なぜ、これまで多くの学者がそのような解釈を「学問」だとしてきたのだろうか? 
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4583
【目次】 コロナと共に生きる生活の中でのマインドフルネス


 深いマインドフルネス、自己の観察は、フランクル哲学と西田哲学が類似する

Posted by MF総研/大田 at 13:30 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL