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(29)専門家=叡智的自己は自分を奢り他者を苦しめる傾向 [2020年08月03日(Mon)]

(29)専門家=叡智的自己は自分を奢り他者を苦しめる傾向

 前の記事でこう述べています。

 このあと、宗教レベルの自愛他愛である。上記ですまない無自覚のエゴイズムの人、深い苦をかかえた人がいる。宗教的レベルの前に、叡智的自己はエゴイストになりやすいことを確認しなければならない。

 自分の仕事、ボランティア活動など自信をもって世のためになっていれば問題ないかというと2種の問題がある。一つは自己の価値を愛するあまりに過剰自愛となり他者を苦しめるエゴイストである。残念であるが、こういう人は自分は苦しまないので、宗教レベルの自己探求をしようとはしない。 専門家のエゴイズムである。これを指摘する幾人かの哲学者を見てきた。オルテガ、板橋勇仁氏が、この問題に切り込んでいる。
 ひとつは当為価値を実現できていながら、主体としての自己自身を責める自己を否定する人である。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3616
★専門家のエゴイズム

 学問の裏付けがあるべきなのに、ある組織では十分議論せずに浅いものが多数決で決められることがある。一つには深いものを理解できない。 これを指摘したのが和田秀樹氏、榎本博昭氏、フランクル、オルテガなどである。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3669
★ 「学者は平気でウソをつく」和田秀樹、新潮社

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3853
★多数決で「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)
    ☆認知的複雑性が乏しい各種の専門家の「ゴリ押し」
     =複雑性を理解できないでイライラして、深いものを否定


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
★オルテガ「大衆の反逆」
 大学人、宗教者

 浅い者の多数派が深いものの少数派を否定する。学問の形をとる。ベックの認知療法でいう、「選択的抽出」の手法を用いることがある。膨大な量の文献から都合のよい箇所を抽出する。重要な難しい部分は表だってださない。
 このようなことは、西田哲学がいう「組織の不正」に該当すると思う。フランクルのいう、やさしい、一つに還元して、多数決で全体に押し付ける手法であると思う。それに批判することは力関係で難しい。メンバーの中に学問の自由がないと苦悩するひとがいる。
 それを教えられる外部の人々も不幸である。深い問題の解決がない。外部の者のかなり多数もそのことを感づいている。

 もう一つは、少し深いもので、いかにも学問的に真であるようにみえるが、もっと深いものがあるものもある。このようなことは、板橋勇仁氏が指摘した。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2221
★専門家の我執>(治療者・専門家にも我執、エゴがある。 「技術の熟達と共に惰性化・粗雑化が起こる」)

 大乗仏教の3つの核心があったが、現実の仏教からは失われていると、大竹晋氏により指摘された。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3930
★大竹晋「大乗仏教非仏説を越えて」

 現在の仏教学が、3つの核心がない解釈をしている学問というのが、浅い解釈なのかもしれないのだ。実際には、3つの核心もあるのかもしれない。深いものを読み取れないのかもしれない。

 我々は新型コロナウイルス感染症の流行で、精神的にもおいつめられている。仏教やマインドフルネスの学問でのアドバイスはないのだろうか。大乗仏教には「利他」、他者の苦悩を救済することがあったというが、現代の仏教はどうなのだろうか。

 大竹晋氏の大乗仏教の解釈は、現代の「共生」の思想につながる。大智度論もそうであるそれなのに、現代仏教や禅の「専門家」による学問的解釈が、共生でないのだ。宗教者中心なのだ、衆生といった一般の人のことが希薄なのだ。現代でいえば、宗教者も学者も一般市民からの 布施、税金、大学学生の学費などのおかげで収入を得ているのであるが、そういうひとたちへの指針、利他にあたるものがない解釈をするのだ。そういうのが本当に仏教、禅の古人が主張したものだろうか。

 専門家のエゴイズムは続くだろう。西田幾多郎が指摘したように、世界には独断偏見が充満している。叡智的自己として専門家は「自分の」現状の地位、身分、権力、収入に満足している。現状の問題を解決していくのは、まだ、これらを得ていない若手であろう。だから、時間的には、相当長くかかる。30年、50年である。

 せっかく人生価値をもって活躍していたひとがおいつめられていく。無限の喜びを持った叡智的自己として活躍していたひとたちが苦しんでいる。精神的問題の専門家がアドバイスできないのだろうか。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4583
【目次】 コロナと共に生きる生活の中でのマインドフルネス


 深いマインドフルネス、自己の観察は、フランクル哲学と西田哲学が類似する

Posted by MF総研/大田 at 21:06 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL