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(28)存在価値(2)自愛ーその2 [2020年08月02日(Sun)]
2日、東京は292人、少し減少のようです。宮崎、沖縄は多い。危機感ありと「評価」する。東京は、「きのうよりは いい」と評価します。しかし、まだまだ衝動的な反応はいたしません。長い目でみて「いい」という行動を決定します。(評価するマインドフルネス)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236
★第4世代の認知行動療法?

(28)存在価値(2)自愛ーその2

 前の記事の続きです。

 自分が家族から愛されているのに、当為価値で悩む人がいるだろう。 一方、愛されているのに、自己を愛することができない人もいるだろう。自己を肯定できない、自己を愛することができないのはつらいだろう。

 西田哲学にヒントを求める。西田は、自愛が他愛だという。 次の記事でみた。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/1935
★他愛が自愛、真の自愛が他愛
     「真の愛というのは自己自身を否定すること によって自己自身を肯定することである、自己に死することによって他に生きることである。」
     実は、これは、自己の絶対否定であるから、超越レベルの自愛他愛である。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2455
★自愛と他愛  =真の自愛あるところには暴力はない

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3627
★大悲ゆえの当為 = 自愛は他愛・他愛から共生へ

 これは、超越(宗教的)レベルである。しかし、これをヒントにして、宗教以前の自愛はどうすればいいか考える。自愛のひとは、叡智的自己である。これは宗教レベルではない。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2991
★叡智的自己

 自分が選んだ人生価値のために働いてそれを実現していくのが叡智的自己であり、無限の喜び、幸福である。叡智的自己は自己を愛する。
 従って、自愛できるようになるためには、宗教でないならば、人生価値を見つけてそれを実現してその価値を愛することでなければならない。人生価値は、(宗教的でないならば)対象的である。すなわち、仕事、ボランティア活動などがある。それが「他」である。価値が「他」である。他愛できれば、自愛となる。(超越でない場合であり、上記の西田のさすものではない)

 こうした西田哲学によれば、心の健康な人は、仕事などの当為価値を実現できて真に喜びを得るならば、自愛できる。

 心が健康であればという条件をつけたのは、当為価値があっても自愛できないことがあるかもしれない。上記の記事で触れているが、パーソナリティ障害や特別の事情があって、自己を肯定できない場合があるだろう。
 また、マインドフルネスSIMTで支援させていただいた経験からみると、当為価値の発見でも小さなものから始めていくことになる。自己肯定感がない人が、大変大きな当為価値をすぐ実現できることはまれだろう。

 実際には、小さなことで自分ができて他者のためになれることをみつけて行動する。それが「他」だ。そのことがきるようになると、喜びを得る。他愛だ。それをできると自分を肯定できるようになる。だから、多くの哲学者がいうのだ。何か見つける、人生価値をみつけると幸福になると。それが自愛となる。それでも、自愛できなければ、非常に深い精神療法や宗教的な方向がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4459
★幸福の哲学

新型コロナウイルス感染症の感染者の流行

 新型コロナウイルス感染症の流行で、喜んで提供していたこと、喜んで参加していたことが制限された。これは、不快だと評価する。うつ病になる人、虐待されるひとが増えるかもしれない。不快だと評価はするが、価値実現の反応をしていくのが、評価の世界の中でのマインドフルネスといえる。

 このあと、宗教レベルの自愛他愛である。上記ですまない無自覚のエゴイズムの人、深い苦をかかえた人がいる。宗教的レベルの前に、叡智的自己はエゴイストになりやすいことを確認しなければならない。

 自分の仕事、ボランティア活動など自信をもって世のためになっていれば問題ないかというと2種の問題がある。一つは自己の価値を愛するあまりに過剰自愛となり他者を苦しめるエゴイストである。残念であるが、こういう人は自分は苦しまないので、宗教レベルの自己探求をしようとはしない。 専門家のエゴイズムである。これを指摘する幾人かの哲学者を見てきた。オルテガ、板橋勇仁氏が、この問題に切り込んでいる。
 ひとつは当為価値を実現できていながら、主体としての自己自身を責める自己を否定する人である。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3616
★専門家のエゴイズム

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4620
★これも専門kのエゴイズム
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4583
【目次】 コロナと共に生きる生活の中でのマインドフルネス


 深いマインドフルネス、自己の観察は、フランクル哲学と西田哲学が類似する

Posted by MF総研/大田 at 16:32 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL