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(17)各人が叡智的自己として好きな価値を実現していくが、悩む人の救済(利他)は少ない? [2020年07月17日(Fri)]
今日は、東京293人。感染させない、感染しないように配慮しながら、価値実現の行動をしていく。

(17)各人が叡智的自己として好きな価値を実現していくが、悩む人の救済(利他)は少ない?

 新型コロナウイルス感染症のパンデミックの中で、人がみな自分の好きなこと(価値)に人生をかけて、必死になっていることが分かった。西田哲学のいうとおりであった。  政治、地方政治、家事育児、スポーツ、演劇、映画、音楽、飲食業、接待 伴う飲食業、パチンコ、医療、介護、運送、清掃、製造、IT、教育、科学、学問、農業、林業、漁業、旅行、観光、ビジネスすべて、・・・。総じて「生産」だ。
 そして、それぞれの利用者、ファンがいる。総じて「消費」だ。

 人生をかけていて、うまくいかないと自殺もありえる。特に「生産」側のひとは、これで収入を得ている。コロナによって、これが長期間、中断しているために、倒産、失業などで苦しんでおられる。うつ病や自殺が増加するおそれがある。
 コロナ以前には、消費側にあって、生産側の人に報酬、代金を支払っていて、いわば、生産側を支援していた。消費側は生産側から、衣食住、生活の豊かさをもらっていた。生産と消費がささえあっていた。ところが、消費側も自分の職業としての価値をもっていたからこそ、消費できた。しかし。コロナによって、倒産、解雇などで収入が減少すると、生産をささえることができなくなる。いよいよ、生産側も消費側もともに苦しい。

 すなわち、いのちがけである。 それだけに、自分の価値(生産と消費)を極めて尊重する。そのあまりに執着して、他者の価値、生命をおろそかにしやすい。そこに、エゴイズムの心理がある。

 上記の種々の価値の生産と消費は、社会に、外側に価値を生産したり、他の生産を消費して生産に参画している。このような生産、消費の活動は「ポイエシス」である。ポイエシスのためには、その領域に知識、技術、スキルが必要である。

★すべての人に共通のスキルがあるという西田哲学

 生産と消費のポイエシスの理論、定理定義、知識、技術、ルール、スキルなどは、その価値に特有なものであって、それを人生価値にしていない者には、無用であり、知らない。
 しかし、そういうすべてのポイエシスの技術等のほかに、すべての人に必要なスキルがある。
 ポイエシスの遂行の時に、自分の価値を重視しすぎて、故意にか、過失にか、無知によるかで、他者の価値を妨害することがある。独断、偏見という。仏教では、煩悩という。 他者を苦しめることが犯罪として裁かれることもあるが、法的には裁かれないことも多い。それでも、他者を苦しめ。不幸にしている。それを防止したい。それが、大乗仏教であった。自己成長し、利他を行う。自己成長が西田哲学では、プラクシスである。社会(厳密にいうと世界)を作る自己を作る。自分の利益だけでなく、双方の利益になるような配慮をする。双方が幸福になるようにする。(厳密にいうと、さらに超えて世界の立場で。結局、「物となって見、物となって考え、物となって働く」。)
 そういう自分に成長させていくように内面の心のスキルを磨く。自我を捨てて世界の立場で見て考え行為する方向の心の向上である。西田哲学の実践論である。これが、日本の「マインドフルネス」である。自己のエゴイズムの心理は「本音」(執着と嫌悪)のバランスを欠いて、他者を排除する、他者の価値を妨害する。自分を苦しめることもある。自己、他者をうつ病に追い込むことがある。

 日本の心の観察(マインドフルネス)は、本音の観察とエゴイズムの行動の抑制、価値実現の行為が重要となる。

 この未曾有のコロナの時代にも、この観察が重要である。「新しい生活様式」で行動することは、「ポイエシス」である。そして、この時、同時に内面のエゴイズムの心理を観察し、価値実現を妨害することを抑制するのが「プラクシス」である。こうして、日本的なマインドフルネスSIMTは、常に実践される。

 こうした西田哲学の実践哲学に比べると、テーマの「  各人が叡智的自己として好きな価値を実現していくが、悩む人の救済(利他)は少ない?」というのだ。欧米のマインドフルネスも日本の仏教も、まだ、そういうところまでは強調しないものが多い。線を引いている。しかし、ないわけではなく、埋もれている。現代 マインドフルネスの考案者のジョン・カバット・ジン氏が尊敬する道元禅師には、上記のプラクシスが記述されている。昭和から現代の人がそこを捨ててしまっているようだ。何人かの哲学者、仏教研究者が指摘しているように仏教の学問が問題だろう。
 コロナでかなり世界が変わる。この領域も若手がになって新しい領域を開拓してほしい。なぜ、若手か?


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4583
【目次】 コロナと共に生きる生活の中でのマインドフルネス


 深いマインドフルネス、自己の観察は、フランクル哲学と西田哲学が類似する

Posted by MF総研/大田 at 21:38 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL