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(3)新型コロナウイルス感染症の広がりの中で、 あたりまえのことができなくなった [2020年06月29日(Mon)]
(3)新型コロナウイルス感染症の広がりの中で、 あたりまえのことができなくなった。

 私のやっていたことに変化をもたらした。
 30年前、私は、うつ病になって死が見える崖っぷちまでいった。「昨年までは幸福そうに仕事もしていたのに、どうして会社に行くのがつらいのか」 「なぜ、こんな自分なのだ。」
 夏目漱石もいったという。正確な文を今は参照しないが、こういう趣旨だ。
 「自分ほどあてにならないとわかった時に、どうすればいいか。」

 30年も前だった。当時は、MBSR,MBCT、ACT,BA,BDTなどの「マインドフルネス」はなかった。幸いだった。当時の自分は、こういうものでは救われなっただろうと確信をもっていえる。これらは、当時の自分の苦悩(うつ病)は今も救えるとは思えない。
 禅があった。令和の現代の禅ではなかった。私には幸いだった。この人こそ自分の苦悩を解決するものをお持ちであろうと思える2人にめぐりあった。お二人がいなかったら、私はおそらく死んでいただろう。
 「私が教えられてきた、広い、深いマインドフルネス」を30年も追及してきた。折々、考えることをブログにつぶやいてきた。このブログCanpanが始まった当初からのブロガーだ。
 最新のまとまったブログは、これだ、これで休止している。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4582

 東京では、50人前後の感染者が発生し続けている。

 そんな中で、もう、若くはない。高齢のために、引退も考える。できることは限られている。
 「マインドフルネス瞑想療法士」🄬の資格は5年更新だ。更新の価値があるのか、ない、ある、と決意する人がいる。「評価」である。日本的マインドフルネスの学習をしたことを表明する意味があるのか。

 「幸福とは何か」について、「マインドフルネス=自己洞察」の視点から全貌を整理できないか。あれこれ考えている。新著で骨子を発表したいと考えている。

 新型コロナウイルス感染症のせいで、世界は「共生」の世界であることが明確になった。各人が自分の好きな職業で物サービスを提供する広義の「生産者」と、それを喜んで受ける広義の消費者がいる。無数の意味の世界がある。スポーツ、音楽、エンターテインメント、飲食、医療、介護、パチンコ、夜の街の仕事、・・・。

 一時期、パチンコの生産者、消費者(客)が目立って連日テレビで報道されて、「自粛すればいいのに」と思った人が多かっただろう。生きる世界が違う人にはわからない。
 ここ最近は「夜の街」や「昼カラオケ」関連の新規感染者が話題になる。

 なぜ、やめてくれないのかと思われるだろう。

 おそらく、「幸福の哲学」と関係する。 各人の価値が実現する時に、感じる「幸福感」。したいことができる当為価値、したいことでも、短期的な当為、たまには楽しいことをしたいということ、それから、長期的な当為価値、職業のような。
 それだけでは、幸福のすべてではない。存在価値、自分の存在を肯定されての幸福、生きていてくれることの幸福。するから愛するのではない、人格全体を愛し、愛される。
 さらに、その愛し愛される生命が消えていく「死」を超える幸福がないのか。 超越的幸福。生死観。

 「夜の街」の関連の感染症が発生するのは、その世界を生きない人からみれば「当為価値」の世界に見えるが、本人にとっては「存在価値」なのではないだろうか。自分が愛される存在である世界を求めて。

 感染の危険を感じてまでも、その催しに近づきたいというマインドフルネス、禅、仏教がありますか。

 こういう幸福の階層がある。そのそれぞれの解決のために「マインドフルネス」がある。昔は、仏教や禅がはたしたという。現代は、説明がない、そこはわかりにくくなった。現代は「マインドフルネス」で説明できそうだ。

 「新しい生活様式」。各人は、一つの意味の世界に生きているのではない。みな、違う意味の世界に生きている。無数の意味の世界が、物理的世界、日本、地球に於いてある。人が現実に生きるのは、物理的世界ではなく、意味の世界。それぞれ、違う世界に生きるが、みんな幸福になりたい。他者の意味の世界を排除しない、自分の世界だけでいいと思ってはいけない。
 金子みすゞや宮沢賢治、西田幾多郎が言いたいのはそれだ。みんな違う世界を生きるが、排除せずに、みんな他を認めあう「共生」の世界。

 少数の他者の意見の自由を認めず、多数派工作で少数派を排除する団体がある。それをするのも、多数派工作までして自分の地位、収入を得たいというエゴイズムの心理だ。エゴイズムの心理を観察するマインドフルネスをしないのか。少数派の人権を尊重しない団体は、人間の幸福の本質にそむくので、長く続くはずがない。休止、消滅した団体もある。科学学問にある還元主義、画一主義、全体主義を批判したフランクル。禅やマインドフルネスも、3主義に陥る団体になる危険もある。

 こんな中で、誹謗中傷の書き込みで、自殺においこみ不幸にする人。なぜ、するのか、それが当為価値なのか、生きがいなのか。自殺に追い込んで自分は幸福なのか。ほかの当為をみつけられないのか。人生は短い、他者を自殺に追い込む書き込みをしている時間がもったいないと思わないのか。

 外出自粛要請で、目立つのが家族への虐待だ。短い人生で縁を結んだ大切な家族なのに、虐待して苦しめるエゴイズム。これも共生、幸福をおびやかす。

 心の使い方が幸福に関係する。静かな場所ではなくて、すべての意味の世界で、常に、こころを観察するマインドフルネスを一生の生きがいにする人が少ない。うつ病による死の淵、がん患者さんのように、いずれ生死観の問題が来るのに。共生社会のために、フランクルや西田幾多郎の再評価を。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4583
【目次】 コロナと共に生きる生活の中でのマインドフルネス


 深いマインドフルネス、自己の観察は、フランクル哲学と西田哲学が類似する
Posted by MF総研/大田 at 05:15 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL