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(21)またも偏見、差別、分断、排除が起きる [2020年04月28日(Tue)]
【緊急事態宣言の生活において】

(21)またも偏見、差別、分断、排除が起きる

 社会は広大で深淵ですから、各人の生きる世界(=とりあえず、わかりやすく職業世界, 諸学問の世界といってよい)が違うのだから、お互い、他を排除せずに、共生すべきなのです。 しかし、やはり、新型コロナウイルス感染症がすべての価値世界にかかわっている現象から、また、また、分断、排除が起きています。

 はからずも、仏教、禅の世界に近づくことになったのですが、そこにも、偏見、差別、分断、排除があるように感じました。共生しようとしない感じを受けて 禅の名前を捨てました。

 そういう状況を感じとったので、欧米の「マインドフルネス」が春木豊氏によって紹介された時に、「マインドフルネス」に期待しました。 開発者が、東洋哲学の活用であり、根底に「全体性が ある」ことを指摘していましたから、 禅の世界の偏見、差別、分断、排除を超えた実践に乗り越えていくだろうと期待しました。それで、 私どものものも、禅とか仏教の帽子を収めて「マインドフルネス」の一派であることを宣言して、URLとして”mindfulness.jp"を使いはじめました。
 それなのに、「マインドフルネス」の世界も、分断、排除を感じます。 無視、傍観も起きました。オルテガが「大衆の反逆」でいっていたのは、主に大学人が「大衆」 だというのです。 大学を舞台にして、分断、排除が起こり、共生を遅らせる動きをするというのです。
 偏見、差別、分断、排除の根底には、自己中心的なエゴイズムの心理があるようです。多数決によっていて、犯罪ではないことが多いので、法的に取り締まることができずに、少数者の意見が見えにくくなります。それが酷くなると、社会が徐々に蝕まれていく、弱い人々が切り捨てられて死んでいく状況になっていきます。
 「マインドフルネス」はまだ歴史が浅いのですが、もう、偏見、差別、分断、排除の傾向を感じます。共生しないということは、ある種の苦悩する人を救済できる可能性がある少数派を排除、無視、傍観することになるでしょう。

 現在の仏教は利他、自己成長が弱いと指摘されました。”全体性への入口」であるという「マインドフルネス」にも期待しました。差別、偏見、分断、排除などの「闇の心」の観察もするだろうと期待しました。しかし、まだ、期待した”全体性”のマインドフルネス的実践の方向が「科学的」に確認されていません。

 西田哲学には、偏見、差別、分断、排除をする専門家の独断的叡智的自己を超えて、共生社会をめざす思想が含まれていると、竹村牧男氏(東洋大学前学長)も指摘しています。

 禅を超えて、マインドフルネスを超えて、新しい思想が必要であるようです。 新型コロナウイルス感染症の危機の中で、どのように心を観察したらいいのか、 仏教、禅、宗教哲学、マインドフルネス学などには、観察がありますが、何かの提言がないのでしょうか。もう、長老がたの思想・解釈は通用しない時代になっているのかもしれません。もう、私自身も時代遅れを感じます。これまで社会を導いてきた「老兵は20年もたつと死ぬ」のです。もう、若い世代に過去の縛りから解放してあげて自由に活躍してもらうべき時です。新しい世代の時代です。

(編集中です) 

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☆ガブリエル

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☆独断的になりやすい専門家・叡智的自己

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☆精神衛生的観点から宗教による救いも必要
【緊急事態宣言の生活において】
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Posted by MF総研/大田 at 09:57 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL