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(10)自己は根源を持つ、自己の底に絶対(超越)が働く [2020年04月01日(Wed)]
【現実の世界は「評価」の世界
 〜 評価するマインドフルネスから考察 】

(10)自己は根源を持つ、自己の底に絶対(超越)が働く


 次の図の「生きる世界」の中の「価値世界」の底に「超越」を示しています。 これは、絶対に対象にならないので、絶対無とか超越と言います。すべての人の底から働いています。大乗仏教や道元禅では「空」とも「仏性」とも言います。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/table-seisan-shouhi-3.pdf

 ここに、自己と世界の根源について哲学や禅を深く究明した秋月龍aや竹村牧男氏の説明があります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3386
 西田幾多郎は、このように言います。

 すべての人の自己(個物的多)の底に超越(超越的一者)が働いている。それは絶対に対象とはならない。それは、自己自身(絶対)を否定して、世界と自己(個物的多)になる。すなわち、この現実の私は絶対の愛によって現れたものである。いわば、この「つまらないと思う自分」が絶対(神、ほとけ)の化身といってよい(ただし、我を否定した時)。経典には変化身の語が出てくる。人格を否定された苦しみを持つひとの救済やがんで自己の死を苦悩する人の救済などになる可能性がある。

 世界には無数の人間がいる。そのものも、同様の構造を持つ。すなわち、私に見える世界には無数の人間が見える。それは絶対の化身である。だから、世界はただの世界ではなくて、絶対の変化身の集合である。絶対の表現である。だが、多くの点がエゴイズムで汚れているのが見える。そこは絶対の否定態ではなくて、自我の独断態である。

 このような自己の根源の超越とその働く現場を体験するのが、禅では「悟り」である。大乗仏教は無生法忍という。大竹晋氏が「自内證」といった大乗仏教の核心である。中国の禅語録では見性という。井筒俊彦は「無分節」といって考察した。

 これを体験して他者救済(利他という大乗仏教の核心の一つ)をするためには、自己の学問的な見解を捨てて実践する必要がある。我利我執を抑制した生活を続ける人に現れる。至誠であるかどうかの評価のマインドフルネス(自己洞察)の生活である。無評価ではなくて、己見我利我執をしていないか自己の意識を観察評価していく。西田哲学は至誠で見て考えて行動するという。 家族や職を捨てずに、家族の世話をしつつ職業生活の見考え行為の中で、内面は至誠で生きていく在家主義である。普通の家庭職業生活で、内面は至誠で自己洞察のマインドフルネスをしながらできる。
 初期仏教の四諦八正道はこういうことにはならない。家族・職を捨てたところが標準であるような出家主義である。六道輪廻から解脱するのが目標である。だから「マインドフルネス」といっても種々の流派がある。同じではない。

 これまでの平穏な日本、世界の生活であったが、新型コロナウイルス感染症の危機に見舞われた危機的な生活の中であっても、至誠で状況を見て、至誠で考えて、至誠で発言行為する。自己の発言行為はただちに同時に自分に聞こえ 見える故に、見る局面にもエゴイズムがないか評価しなければならない。自己自身の発言行為も「見て評価」する。社会的生活においては見るものも無評価ではいけない。至誠で評価判断しなければならない。一人で瞑想する無評価の場ではない。危機的状況は評価しなければならない。思考、発言、行為がエゴイズムでないか評価しなければならない。 現実の世界は評価の世界である。 こういう危機においても、エゴイズムで見て行為していくものがあるだろう。世界をいよいよ危機に陥れる。

 無評価のマインドフルネスも、社会的な効果が報告されている。学会もある。しかし、評価のマインドフルネスはまだ学会はない。これも学者、実践者が研究していく学会を設立して学問的に、そして臨床の研究をすすめて欲しい。 初期仏教と大乗仏教は全く別の宗教である(大竹晋)ように、無評価のマインドフルネスと評価のマインドフルネスは別物である。同じ研究者が両方を実践することはできない。 両者はかなり違うので、効果研究方法も違う。一つでは難しい問題の解決には不十分である。

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⇒  https://blog.canpan.info/jitou/archive/4537
Posted by MF総研/大田 at 21:45 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL