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(7)永遠の歴史の中で唯一・一回の愛 [2020年03月27日(Fri)]
【現実の世界は「評価」の世界
 〜 評価するマインドフルネスから考察 】

(7)永遠の歴史の中で唯一・一回の愛

 前の記事で、一般的に「生命」の存在価値の重要性をいいましたが、 特に「愛する人の生命」の重大さがあります。

認識・行為など関係なく何もなさなくても愛してくれる家族

 ロゴセラピーの フランクルは「愛するものにとっては、何もなさなくても、そのままの姿で、かけがえのない存 在」であるという。
 「通常は行為によって獲得せねばならないすべてのものが、いわば労せずして手に入る のである。」(『人間とは何か』221)

 ある時、あるところで、二人がめぐりあい、愛します。何のとりえもないこの私を愛してくれます。永遠の歴史で、たった一回きりです、唯一の人です。たいしたこともないこの私を特別の存在として愛してくれるのです。 恩寵、奇跡です。
 両親も子どももそうです。やはり、何かをするから愛する、愛されるのではありません。 認識、実践、存在でいえば、愛とは、存在レベルです。見るから愛する、行為を愛するのではありません。愛は存在レベルの深いものです。だからとりかえられません。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/table-seisan-shouhi-3.pdf
★観察のレベル

 そんな大切な人が、新型コロナウイルス感染症のために死んではならないわけです。大震災でも愛する人を失った人の悲しみ苦しみは想像を絶します。

 「愛においては、愛される人間は本質的に、その現存在において一回的であり、その相在 において唯一的である存在として捉えられる。つまり、彼は、あるがままの存在として 捉えられるのである。彼は汝として捉えられ、汝として他の自我のうちに受け入れられる。 彼は、 愛するものにとっては、何もなさなくても、そのままの姿で、かけがえのない存在なのである 。」( 『人間とは何か』p221-222)

   夫婦、親子の 愛という存在価値は、創造価値、体験価値を遂行していくときにも、根底に存在しており、見守っています。愛という存在価値は特別の価値です。何かの事情で創造価値、体験価値を遂行できなくなってもなお私の存在を受け入れてくれます。重病により、老齢になって何もできなくても、生きているだけで愛してくれます。
 創造価値、体験価値を遂行しなくても、愛されていることを実感できるならば、生きていけます。 これが感じられない家族、状況はつらいことです。災害、病気などで失われた時の苦痛は甚大です。

 このたびの感染症の脅威によって、家族の生命を守るために、行動の制限、入国の制限がなされました。これで明確になったように、家族の生命を守るためにどうあるべきか、われわれが世界の動きを見て考え行動する時に、自己や家族の生命をおびやかさないか「評価」する必要があります。当然です。現実の世界は、生産、消費をおびやかさないか評価するほかに、自己や家族の生命をおびやかさないか、その瞬間に評価して、適切な判断をしなければなりません。
 医学的、産業社会的などすべての産業知識で見る考える行為する、まさに、その時に、エゴイズムで影響された見方、考え、行為をしてはなりません。だから、自己のエゴイズムの心理を観察するマインドフルネスが必要なのです。己見、偏見、独断、我利我執などと言われてきました。こういう観察が、昔から日本人が教えてきた日本的マインドフルネスです。
 子どものいじめ自殺が起きた時に、加害側のことをよく調査しなかったり、どちらかのかたを持つのは許されないエゴイズムですが、現実には起きています。苦しめないようにエゴイズムの心を観察して、隠蔽してはだめだと評価しなければならないのです。人間は、そういう悪を犯しがちですから、エゴイズムの心を観察してどうするか評価しなければならないのです。西田幾多郎は、独断偏見といいました。
【現実の世界は「評価」の世界 】 総目次
⇒  https://blog.canpan.info/jitou/archive/4537
Posted by MF総研/大田 at 21:50 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL