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新型コロナウイルス感染症によって3種の幸福がおびやかされて [2020年03月06日(Fri)]

新型コロナウイルス感染症によって3種の幸福がおびやかされて

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4459
★幸福の哲学
 何かをする(当為)という幸福の哲学だけでは不十分。超越の幸福の哲学がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3346
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3391
★哲学には認識論、実践論、実在論がある

 第1に、認識は、観る局面であるといってよい。物、サービスを受ける局面である。希望するものが受けられると幸福である。
 第2に、実践は物、サービスの提供の局面でもある。自分の生きがいとする物、サービスの提供が「実践」で、それができることが幸福であると感じる人が多い。
 第3に、実在論は、自己存在である。自己が肯定できる幸福、自己や家族が生存できる幸福。死から遠い時の幸福。

 西田幾多郎はこういう。

 「経済社会というものは、生産と消費との矛盾的自己同一によって成立するのである。生産と消費とが何らかの形において結合せない所に、経済社会というものはないのである。」(『ポイエシスとプラクシス』旧全集10巻161頁)

 西田が、こういうようにこの社会には生産と消費がある。生産と消費は自己同一である。生産には必ず消費がある。サービスの場合、同時である。 物の場合、時間差があるがやはり、生産されたものは消費される。
 今、新型コロナウイルス感染症によって、この両者が制限されている。「幸福」について考えさせられている。つい先だって「幸福の哲学」を検討したからである。
 生産側の物やサービスの提供が制限されている。スポーツ、芸術、カラオケ、旅行業、研修提供業、教育サービス、介護保育サービス、医療提供などのサービスが制限される。消費側は、観覧,サービスの需要側である。この双方が制限されて「不幸」な状況が起きている。倒産する企業もあるという。幸福ではない。消費側でも、旅行、観戦、観覧などを大変に楽しみにしているものが制限されると不幸である。介護、デイサービス、医療サービスを受けられないのも不幸である。生命がおびやかされる不安による不幸もある・
 「幸福の哲学」においては、生産側の幸福が強調されてきた。「当為価値」の幸福である。 サービスを受けることによる幸福を「体験価値」による幸福と呼ぼう。

 新型コロナウイルス感染症で死亡した人が世界で相当数にのぼる。存在が失われた不幸なひとが多い。感染したひとも、存在の幸福が失われる不安があれば、幸福ではない。
 こうして、今、世界中の人、日本の人が、体験、当為、存在の3つの価値を制限されて幸福ではない。特に、前2者が重要な人生価値であった人は、幸福ではなくなる。もちろん、存在価値はすべての人だ。こうして、「幸福とは何か」という哲学は3つの価値の総合であるだろう。一つが脅かされる時、その比重が大きいと、人格全体としては、幸福とは感じないだろう。
 愛する家族がいても自殺する人がいる。体験価値、当為価値が重要であってそれが失われた時。仕事(当為)があっても、愛する人を失って不幸となる。体験サービスを受けられないで不幸になる人がいる。

 こうして、「幸福とは何か」について検討するためには、3つの価値を検討しなければならない。我々は、3つが失われて不幸だと感じているひとがその苦痛を乗り越えるために、そして幸福であるひとが一生幸福であり続けるために、自己の認識、実践、存在の観察方法を研究開発したい。
 3つの幸福を実現するためには、個人の心的努力が必要である。マインドフルネスである。無評価ではない。自分の見方、考え、行為、存在の見方(真の自己とは何か)が価値実現かどうかの評価の実践である。価値を失う方向にある「感覚の受けとめ方」(観る)になっていないか、考える、行為、自己とは何かの見方に価値を失う方向になっていないかどうか、常に「評価」(3つの価値実現か崩壊かの評価判断)し、価値実現の管変え、行為をしなければならない。西田哲学はそれを「至誠」であるかどうかを観察するのだという。
 その3つを総合的に考察しているのが西田哲学であるから、西田哲学による認識論、実践論、実在論の哲学に導かれてみる、考える、行為する、そして自己存在を観察実践するマインドフルネスが、日本的マインドフルネスである。

 まだ、これを知る人が少ないので、これを研究し、開発し習得し推進していくひとがまだ極めて少ない。

 今は、新型コロナウイルス感染症による制限によって、3種の幸福がおびやかされている。しかし、日本には、このほかに組織による独断、専門家のエゴイズムによって認知行動の自由を束縛されて不幸である人が多い。世界には、国家という巨大組織による独裁者によって、認知行動の自由を束縛されて不幸になる人が多い。
【書籍紹介】
『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』
『幸福と人生の意味の哲学』
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4459

【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3673
★【連続記事】学問・宗教・言論・思想の自由がない日本

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3930
★現代の社会の変化に対応しない人間哲学のマインドフルネス

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4442
★仏教、禅、マインドフルネスも、幸福論の哲学も再検討を
Posted by MF総研/大田 at 17:24 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL