• もっと見る
«専門家はみなエゴイストになる=第9回 西田哲学の場所の論理と行為的直観 | Main | 看護師の自殺予防のプログラムの開発=看護師は一般人口より自殺リスクが高い»
(14)観察する自己は点か場所か [2020年02月19日(Wed)]
今年度のマインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座は6月から開始です。受付中です。3月31日までに申し込みの人には割引があります。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouza/2014kouza.htm

西洋哲学の瞑想・観想ー「マインドフルネス瞑想の哲学」(14 )

(14)観察する自己は点か場所か

 稲垣良典氏の著書から、「瞑想」「観想」「坐禅」の「マインドフルネス」の意義についてみています。私が本書をとりあげたのは、本書が「哲学」であるからで、キリスト教への誘いの宗教書ではないからです。自己とは何かを探求することの究極は「神」とは何かの探求にもなります。

 「全体性」は、真の自己が場所であるからといえます。点ならば部分です。 稲垣氏も自己は点かを考察しています。
    「人間を中心において万事を考えるとは何も特別のことではなく、われわれが感覚でもって認識する「外の世界」にもっぱら心を向ける生き方である。その場合、人間は外界の物体的事物や現象を知覚し、認識する「主観」、そこからすべてのものを見る「点」となる。 その意味では世界・万物の「中心」であるが、それ自身は存在ではなく、「点」に過ぎない。 奇妙なことであるが、人間が自己中心的に物事を考える立場をとると自己は認識の外に置かれ、すべてを自己が使用し、所有するように見えて、自己は単なる「点」となり、その存在は消滅するのである。」(稲垣、p73-4)

    「これとは反対に人間は自己を否定して、自己を超えて進むべき存在であるとの見通しに立って、自己の中に入り、自己へと立ち帰る立場に立った場合には、右に述べた自己中心主義は消滅する。この場合には真の意味の自己認識が成立するのであるが、それは自己が自己をそこにおいて認識すべき「場」を発見することであり、そのことによって自己が万物の中心であるという幻想は消滅し、同時に自己は単なる「点」でななくなり、ある意味では(認識することを通じて存在するもののすべてと合一することによって)「全体」となるのである。」(稲垣、p74)
 MBSRも、最も深いのが「全体性」であるといっています。「マインドフルネス」は、 仏教や禅のように、自己の哲学を回避、無視できません。
 アクセプタンスコミットメントセラピー(ACT)の観察する自己も、場所か点か気になるところです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2080

 文脈としての自己が場所であるならば、それを観察する不変の自己は何なのか。限界がありそうです。弁証法的行動療法にも「賢明な自己」があります。マインドフルネスは種々のものがあり、それぞれの世界がちがっており、適用されるべき問題が違うのだろうと思います。違いをあきらかにするのも「学問」でしょう。

 自分で理解できないことを回避、無視、否定して浅い仏教、禅を学生や国民に教えた(そのためにか、うつ病のような悩みさえも支援できなかった)従来の専門家の過ち(西田幾多郎、鈴木大拙、秋月龍a、井筒俊彦、竹村牧男、大竹晋氏など)を繰り返さないように、マインドフルネスを学問だという専門家は、自己の哲学を明確にしていただく必要があるでしょう。
 専門家はそれぞれの価値と限界をしり、社会のために働くのであって、人を自利のために閉じ込めていかず、自分のものを超えるクライアントは適切な専門家を紹介して問題を解決してもらって他の人も自己の価値を発揮していけるようにお手伝いする至誠の叡智的自己。自分が自由を発揮して幸福でありたいのと同様に、他の人も浅いところに閉じ込められたくない、自由に自分の価値を実現したい。他の ひとを自分の生きがいの道具にしてはいけない。自分が点であるとおもっていると、自己中心的になる。エゴイストになる。専門家はそれに陥りやすい。常に「観察」が必要。

 稲垣氏はキリスト教の研究者であるが、その哲学は東洋哲学と似ているように見えます。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2851
★ここにも全体性が。

【参照】
稲垣良典、2019 『神とは何か 〜 哲学としてのキリスト教』講談社現代新書

滝沢の説は「絶対無と場所」秋月龍a著、青土社に詳しい。

(注)「マインドフルネスSIMT」は「自己洞察瞑想療法」、Self Insight Meditation Therapy。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3137
★道元禅師のマインドフルネス

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2991
★叡智的自己(西田哲学)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2395
★専門家は叡智的自己、独断的、超越を認めないならば(西田哲学)。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/1955
★意志作用(西田哲学)


【目次】哲学、宗教、仏教学、心理学、医学、脳神経科学、精神療法、マインドフルネス、マインドフルネス学、留まることのない哲学に導かれるマインドフルネス実践
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4478

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4500
【瞑想とはどういう意義があるかー「マインドフルネス瞑想の哲学」】
Posted by MF総研/大田 at 13:41 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL