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(3)西洋の観想〜知識では把握できないものを知る [2020年01月27日(Mon)]

西洋哲学の瞑想・観想ー「マインドフルネス瞑想の哲学」(3)

(3)西洋の観想〜知識では把握できないものを知る

 自己とは何かという問いは、「神」(仏、絶対者)とは何かという問いと関係するという稲垣良典氏の著書から、「観察」「瞑想」についてのヒントを得たい。

 西洋では、古代ギリシア哲学以来、感覚によってとらえられる事物を対象とできないものを対象とする学問を「形而上学」と称してきた。前者は科学が対象としており、それで知ることを「知識」といい、後者(形而上学)で知ることを「知恵」という。神や自己がその例である。
 知識と知恵の違いは、後者が「観想」とかかわっている。

 「「知識」と知恵が明確に区別されている知的環境においては、知恵という「知る」働きはそれ自体が目的(終極)であって、何らかの効用、成果といった実践的目的に秩序づけられてはいない。知恵に固有な「知る」働きは「観想」であり、それはそれ自体が目的であるような、最高の「知る」働きとして、すべての「知識」に優る卓越性を認められていた。われわれの間では「理論」と訳され、実践ないし応用へと秩序づけられるtheoriaはθεωρεω(見る、眺める)というギリシャ語に基づいており、もともと「ものを在るがままに見ること」「観想」を意味する言葉であった。つまり、知恵は「観想」という知る働きと結びついているが、知識とは違って実践的・生産的活動へと秩序づけられてはいない。」 (稲垣,p71)

 こういう説明は、「目的を持たない坐禅」や「評価せずに観察するマインドフルネス」と類似するように見えるが、続く説明で違うことが明確になる。 一方、超越、超個、絶対無を知る禅に類似するように見える。

【参照】
稲垣良典、2019 『神とは何か 〜 哲学としてのキリスト教』講談社現代新書

(注)「マインドフルネスSIMT」は「自己洞察瞑想療法」、Self Insight Meditation Therapy。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2991
★叡智的自己(西田哲学)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2395
★専門家は叡智的自己、独断的、超越を認めないならば(西田哲学)。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/1955
★意志作用(西田哲学)


【目次】哲学、宗教、仏教学、心理学、医学、脳神経科学、精神療法、マインドフルネス、マインドフルネス学、留まることのない哲学に導かれるマインドフルネス実践
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4478

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4500
【瞑想とはどういう意義があるかー「マインドフルネス瞑想の哲学」】
Posted by MF総研/大田 at 19:30 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL