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(2)意志は「目的」を実現 [2020年01月24日(Fri)]

瞑想とはどういう意義があるかー「マインドフルネス瞑想の哲学」(2)
 =瞑想や坐禅は「目的」か「価値」か
  意志は「目的」を実現

(2)意志は「目的」を実現

 「目的」は短期の目標実現であり、「価値」は長期的に継続していく人生で必死になるものです。哲学者、戸田山和久氏はこういいます。

 「人生は、短かめの目的手段連鎖の集積だ。」 (戸田山和久『哲学入門』p406)

 短か目の目的を遂行するにあたって、高次の目標のことを、SIMTでは「価値」といいます。 価値は、家庭とか仕事があります。たいていは、他者、組織、社会のためです。

 Aさんは、カレーライスを作るのは家族のためです。Bさんは、レストランに勤務しており、カレーライスを作るのは職場での仕事のためです。

 瞑想や坐禅を時々、30分するのは、「目的」であることは明確でしょう。掃除、炊事、仕事をせずに、30分、瞑想や坐禅をしようという意志をおこすのだから行為自体は「目的」です。内容が「目的を持たない」坐禅であっても。

 瞑想や坐禅を30分しようという意志を起すのは、多くの社会人にとっては、それをする高次の「価値」は、「心の健康維持」とか、「人間完成」とかでしょうか。これらは他者のためではないので、「価値」といえるのかどうかは別として。仕事のスキルを向上させるためという「仕事」のためであるかしれません。他者の支援が仕事である場合その質を向上させるためと思う人もいるでしょう。価値は、フランクルや神谷美恵子がいう「いきがい」です。  禅宗の寺で開催される坐禅に参加する人は、上記の何かの高次の「価値」の枠内でしょう。あるいは、リラクゼーションのためとか。ひとり自宅でする瞑想や坐禅は、意志の間隙でしょうか。休息、ストレス発散でしょうか。
 では、主催している僧侶にとっては、その30分の坐禅会を開催するのは、内容には目的がなくても、30分の会を開催したいという「目的」には該当しますが、何のためにという高次の「価値」は何なのでしょう。教団組織の方針だからか、僧侶としてのすべきことの一つであるからか。自分の価値観からでしょうか。開祖の教えを伝えたいからか。こういうことは高次の「価値」の実現のためです。

 瞑想や坐禅は、種々の「目的」や種々の「価値」のためとして、個人によってかなり違います。そうであれば、方法も違っているでしょう。マインドフルネスのうちでも、MBSR、ACT、SIMTなどがありますが、方法も違ってくるでしょう。

(注)「マインドフルネスSIMT」は「自己洞察瞑想療法」、Self Insight Meditation Therapy。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2991
★叡智的自己(西田哲学)

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★専門家は叡智的自己、独断的、超越を認めないならば(西田哲学)。

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★意志作用(西田哲学)


【目次】哲学、宗教、仏教学、心理学、医学、脳神経科学、精神療法、マインドフルネス、マインドフルネス学、留まることのない哲学に導かれるマインドフルネス実践
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【瞑想とはどういう意義があるかー「マインドフルネス瞑想の哲学」】
Posted by MF総研/大田 at 21:22 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL