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瞑想とはどういう意義があるかー「マインドフルネス瞑想の哲学」(1) [2020年01月22日(Wed)]

瞑想とはどういう意義があるかー「マインドフルネス瞑想の哲学」(1)

 人間は、目的のない行為はできないといいます。それで、「マインドフルネス瞑想」は、どういう目的を持つ行為であるのかという意味を持っていると、実践への動機付けと実践方針に影響があります。

 意志作用は短期的な「目的」を設定してその実現のために、見て、考えて、行為します。その「目的」は、自分の人生の長期的な「価値」の枠内のものです。「価値」は他者に向かって働く「世界創造的行為」です。

 価値は家族とか仕事があります(ほかに、存在価値があります)。瞑想は、家族のためでもなく、仕事のためでもありません。 なにも、世界のためになる行為には見えません。一体、何のためのマインドフルネス瞑想なのでしょうか。意志作用の休みなのか、積極的休息か、リラクゼーションか、休息ではない意義があるのか、深い意義をもっていると取り組み方がちがってくるでしょう。

(1)意志には間隙がある

 禅哲学者久松真一は、論文「神と創造」で、意志を考察しています。詳細な考察があるのですが、結論だけ引用します。

 「意志が間断的であるということは意志そのものを内観することによっても明らかになると思う。もし意志が連続的であるとするならば意志のなき状態は経験せられぬはずである。 しかるに吾々はある意志が起ってそれが緊張して意志内容であるMotiveが欲求するだけのものを要求し終わる、すなわち意志活動が活動するだけの活動をなし終ると、弛緩してその意志活動はまったく休息し去ることを経験する。意志が弛緩し休息するとそこに吾々にはただちにとにかく活動そのものが終息して平静になったことに対して満足というような感情が伴うにしても、その感情はさらに新しき意志を起して、前の意志活動とは異なれる種類のものとして緊張して弛緩する。吾々は前の意志とそれについで起る意志との間がたとい間髪を容れぬほどの刹那であっても、その間に意志のないところを経験する。すなわち意志の起るときは意志前の状態から起り、意志の終るのは意志前の状態の中へ終るということを経験する。」(久松真一,『東洋的無』講談社学術文庫、p177-178)

 西田哲学によれば、すべての人間は自分が選択した長期的価値(当為価値)を必死に遂行して喜びの感情を得ます。
 たとえば、人物Aは、家族と仕事を持つとします。ふたつの重要な価値を持つのです。ある日、朝、1時間ほど家族のために食事を作るという意志を起こして、実際に食事を作り終えて満足します。この日この時の1時間は、家族のために働くという長期的価値の実現のために、「食事を作る」という意志を起こして終了しました。次に、人物Aは、5分後に、仕事に行こうとして、乗り物に乗ろうという意志を起こしました。職場に着くと、長期的な仕事の価値の枠内で、5分から1時間程度ですむ多数の意志(目的)を起こして遂行しました。さて、久松によれば、これら多数の意志の間には、間隙があります。

 Aは、帰宅の後、家族のための家事を終了して就寝前に、30分「瞑想」をしようという意志を起して実行しました。このような時の「瞑想」は、一体何でしょうか。家族のための家事や職場での仕事は、世界を創造する当為です。当為の行動です。西田哲学によれば、「瞑想」には、「閑人の閑事業」もあるといいます。それは、世界創造行為とは言えないでしょう。
 それとも、瞑想の30分は、意志の間隙でしょうか。意志がないでしょうか。本人は、瞑想を するという意志を起したつもりです。家族や職場の仕事ではないのに。意志といえるのでしょうか。それとも、間隙なのでしょうか。
 この30分の「瞑想」が「目的のない坐禅」であったら、この30分は何なのでしょうか。「目的のない坐禅」をするという意志を起したとき、「目的のない坐禅を30分実行しようという目的」を起こしたのでしょうか。それとも、「目的のない坐禅」をするという意志を起すのは、「目的」設定でもなく、意志でもないのでしょうか。 一体、人間は「目的のないこと」を意志、実行するということがあるのでしょうか。 それとも、そういう時間は「休息」か「何でもない」のでしょうか。

 マインドフルネスSIMT(注)が基礎にしている西田哲学の実践では、明確に説明できそうです。

 その前に、キリスト教の哲学を考察した稲垣良典氏の著書から「瞑想」や「意志」についての考察を参照したいと思います。

(注)「マインドフルネスSIMT」は「自己洞察瞑想療法」、Self Insight Meditation Therapy。

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★叡智的自己

【目次】「瞑想」の意義
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(17)幸福という最高善を欲求するから特殊的な善を選択する

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(16)意味の世界、各人の価値、生きがいの世界

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(15)「真の自由」の条件

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(14)観察する自己は点か場所か

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(13)”深い全体性”はジョン・カバット・ジンのマインドフルネスにもあるはず

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(12)キリスト教の人が聖書によって聖書の真意を知るためには
(誤って削除してしまい、控えもとっていなくて、復元できません。)

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(11)キリスト教の人、滝沢克己が聖書から「神」イエスキリストを深い禅と似た解釈

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(10)イエスは山中で祈っておられた

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(9)超個(絶対無分節)、超個の個(分節2)をどう言うか

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(8)滝沢のキリスト教は大乗仏教に近いものがある

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(7)「キリスト教信仰」は日本的霊性と無縁ではない

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(6)観想は最高の「旅路の合間の憩い」

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(5)観想は創り主の御心を味わう=思想哲学を帯びて観想する

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(4)知識は対象的時間的、知恵は永遠的観想的

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(3)西洋の観想〜知識では把握できないものを知る

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(2)目的をもたない瞑想をしようというのは意志でないのか。

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(1)意志には間隙がある。瞑想は、生きがいの間の間隙か。

【目次】哲学、宗教、仏教学、心理学、医学、脳神経科学、精神療法、マインドフルネス、マインドフルネス学、留まることのない哲学に導かれるマインドフルネス実践
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Posted by MF総研/大田 at 07:55 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL