学者なら存在した宗教のあるがままを解明すべきであって、自分の宗教を捏造すべきでない [2020年01月15日(Wed)]
学者なら存在した宗教のあるがままを解明すべきであって、自分の宗教を捏造すべきでない哲学者西田幾多郎は、学者なら存在した宗教のあるがままを解明すべきであって、自分の宗教を捏造すべきでないと警告しました。昭和20年の敗戦まじかのときに書いた論文で。「宗教は心霊上の事実である。哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。」 にもかかわらず、戦後も!? https://blog.canpan.info/jitou/archive/3287 大竹晋氏の2つの書籍を見ると昭和の宗教の学問は偏っていたようです。宗教とは何でしょうか。量義治氏によれば、「超越」「絶対者」があるものです。 ところが昭和の学問では、自分の好きな思想であって、絶対者のないものが宗教とされました。 学問をどこまで信じられるのでしょうか。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2587 ★宗教である条件 特に重要なことは救済や絶対者です。救済は「利他」です。絶対者は科学的には究明できないものです。信者が信じるとか体験するとかです。大乗仏教の場合、体験することを「自内證」といいました。科学学問によらないので、宗教です。 図は量氏の宗教の条件を示しました。(図の下の部分) そして、私(大田)が、宗教(超越)でないが、内在的な 苦悩、救済、行為などを上部に示しました。 (クリックすると拡大表示されます) 大竹氏が、日本の仏教は「利他」が弱いと指摘しました。内在(宗教でない)の「救済」されるべき「苦悩」は、心の病気、人間関係、自殺などあります。 では、日本の宗教が救済してくれる「苦悩」は何なのでしょうか。宗教「行為」とどういう関係があるのでしょうか。日本の仏教は、誰を相手に、どういう苦悩を救済してくれるのでしょうか。 大竹氏によれば、日本の仏教は存在した仏教ではないもの、自分の好きな思想を採り、嫌いなものを否定したものが仏教だとして主張されました。それも「超越」でないものも主張されてきました。再検討が必要ですね。内在の苦悩も超越の苦悩も仏教が支援しないのであれば、本当に、仏教寺院が消滅してしまいかねません。 大竹晋,2019a『大乗非仏説を超えて』国書刊行会 大竹晋,2019b『「悟り体験」を読む』新潮社 量義治,2008『宗教哲学入門』講談社学術文庫 【目次】哲学、宗教、仏教学、心理学、医学、脳神経科学、精神療法、マインドフルネス、マインドフルネス学、留まることのない哲学に導かれるマインドフルネス実践 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4478 |
Posted by
MF総研/大田
at 19:31
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