臨床哲学・哲学者が現場の人にあう [2020年01月12日(Sun)]
臨床哲学・哲学者が現場の人にあう哲学者、鷲田清一氏は、臨床哲学を始めた。「哲学はこの国では「研究」としてばかり取り組まれてきた。けれども哲学は、人びとの暮らしや社会の運営をしっかり支えるもの、支えてきたものであるはずだ。」(鷲田,p338) 「講談社学術文庫の刊行の辞にはこうあるーー 「生活と学術との間に、もし距離があるとすれば、何をおいてもこれを埋めねばならない。・・・」(鷲田,p306) そこで「臨床哲学」を始めたそうです。 「臨床哲学とは、哲学の<内>と<外>のリミット(臨界線上)に立とうとする意志である。・・・ わたしちが始めた「哲学カフェ」が全国のほぼ全府県で開催されており、阪大関係だけでも述べ数百回というところまできている。(鷲田,p306) 「時代の懸案から人生の悩み」まで、大事な問題を老若男女が、いっときその社会的なポジションを離れて、膝を突合せ、議論するという場が、この社会にはない。・・・ が、哲学カフェではそれが起こる。」(鷲田,p344) 参考 鷲田清一,2019 『濃霧の中の方向感覚』昌文社 哲学者と一般人とをつなぐ人材が必要哲学書は素晴らしい、すべての人に関係するという普遍性のない(注)宗教書と違って、哲学書は真剣に普遍性を考えています。
西田幾多郎は、人の役にたってもらいたかった、なぜ、こんなにつらいことが起きるのか、つらくとも生きていかねばならないかを究明したかった。一生かけて、西田哲学は、悲しみの起きる根源をつきとめました。最終形は、死ぬ直前に書かれた「場所的論理と宗教的世界観」で明らかになりました。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288 https://blog.canpan.info/jitou/archive/1880 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789 これを現実に活かすのは、後世の我々です。孫の上田薫氏が嘆いています。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2367 哲学はすばらしいですが、難しいです。 宗教には、聖書、経典があり、それを解釈してやさしく教える出家在家の支援者がいます。仏教の場合は、僧侶でしょう。哲学書が経典に該当するとすれば、それを解釈してやさしく伝える哲学カウンセラーがいるほうが、その哲学の理解者実践者が増えます。そうでないと、哲学書は出版されても、死蔵されます。それでは、その哲学は消滅します。 それで間に賛同し理解し解釈して、一般人にやさしく説明してくれる哲学カウンセラーが必要です。哲学者は研究、考察、執筆で忙しくて、一般人に臨床する時間がないでしょう。 そのために、間に哲学をやさしく伝えるカウンセラーが必要です。西田哲学の実践では「マインドフルネス瞑想療法士🄬」(MMT)です。 西田哲学は多岐にわたるので、すべてのMMTが支援できるのは、意志的自己、意志作用を応用した実践による支援です。さらに深い叡智的自己、人格的自己のレベルは一部のMMTが研究、支援します。(注)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3944 ★市民に直接実践指導する人が必要 【目次】哲学、宗教、仏教学、心理学、医学、脳神経科学、精神療法、マインドフルネス、マインドフルネス学、留まることのない哲学に導かれるマインドフルネス実践 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4478 |
Posted by
MF総研/大田
at 07:38
| さまざまなマインドフルネス
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