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世界が危機的状況にある時代 [2020年01月08日(Wed)]

世界が危機的状況にある時代
 =危機的状況にある現代のマインドフルネスとは

 国際的な状況は、世界が不幸な事態になっています。 宮沢賢治が言ったように、世界が不幸であれば、日本の幸福もおびやかされています。 戦争に巻き込まれる、原油や食糧が輸入できなくなる・・・。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3659
★世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない
=宮沢賢治

宗教としての仏教や禅に限界を感じて、「マインドフルネス」を提案しています。しかも、「哲学」に導かれての実践です。哲学は、ある教条を絶対視しておしつけることはしません。 哲学は学問であり、精緻に徹底的に考察されて、他の哲学者からも批判されて研究がすすみ変遷していきます。
その点で、古い真理がそのままで主張され続ける宗教と違って、環境や時代の変化に応じて進化するところがあります。うつ病、不安症などの支援には、そういう点があっているということが好きであり、マインドフルネスの実践は「哲学」によるのが現代的だと思っています。時代、環境、クライアントの変化に応じて、方法を変えることができます。しかし、宗教ならば変えることが難しいのでしょう。「目的を持たない坐禅」「公案で悟る」など、普遍性(哲学が目指す)がないので「宗教」でしょうが、これを変えることは難しいのでしょう。檀家信者、無縁の人々の苦悩は傍観しても「真理」を守るのが宗教なのでしょう。寺院が消滅するという時に、若いひとは悩ましいでしょう。大竹晋氏が大乗仏教とは違うと指摘しました。目的を持たない、公案、利他、自内證、自己成長を重視するなど宗教にも種々の「真理」がありそうです。

人の悩みの解決支援をするためのマインドフルネス心理療法ならば、時代、環境、クライアントによって変化するはずですから、哲学によるほうが変化に対応できます。

宗教と哲学の違い

 宗教の哲学を研究した量義治氏は、こう言っています。

 「哲学は真理探求の途上にあって、まだ真理を所有していない。これに対して、宗教はすでに真理を所有していると主張する。また、哲学の本質は問うことにあるが、宗教の本質はすでに所有している真理によって答えることにある。このように、哲学と宗教とは、真理に関して非所有と所有の対立関係の中にある。その在り方において、哲学は問い、宗教は答える、というように対照的である。・・・・
宗教は真理を信ずるが、哲学はそれを知ろうとするからである、と言うことができるであろう。真理を信ずるということは、その根拠を問わないということである。これに対して、真理を知ろうとすることは、どこまでもその根拠を問うことである。知は止まることを知らないのである。知の学としての哲学は本性的に問う学であり、したがって、つねに真理への途上にあるのであって、真理に到達してしまって、そこに安らぐということはないのである。」(量義治,p20)

 日本で研究されている「マインドフルネスSIMT」は、宗教的な「マインドフルネス」には従わず、哲学を参照します。哲学のテーマとして、認識、自己、意志、幸福、世界とは何か、生死、人生、などがあります。こういう哲学を参照します。変化を認めない「宗教」によりません。西田哲学には、実践哲学までありますので、参照できます。宗教の実践とはかなり違っています。時代の変化にも応じることができます。たとえば、「目的を持たない坐禅」は、昭和にはかなり人気がありましたが、令和の現代の、一般市民はついてくる人は少ないでしょうが、宗教の「真理」であるのならば、変えることもできず、若いひとたちは葛藤を感じるかもしれません。宗教の真理は変えることが難しいと感じられます。
哲学ならば、検討して環境、クライアントにおうじて変えることができます。研究して現代の人々の悩みに広く活用できるのではないでしょうか。

量義治,2008『宗教哲学入門』講談社学術文庫


【目次】哲学、宗教、仏教学、心理学、医学、脳神経科学、精神療法、マインドフルネス、マインドフルネス学、留まることのない哲学に導かれるマインドフルネス実践
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4478

Posted by MF総研/大田 at 20:02 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL