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内在的マインドフルネス、超越的マインドフルネス [2019年12月23日(Mon)]

書籍紹介
『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』
『幸福と人生の意味の哲学』

 2著の幸福の哲学は深いことで類似しているように見えます。共振、アイロニー、超越がキーワードです。 似ているので、青山氏と山口氏の2つの著書を並行で見ます。簡単ながら骨子は紹介し終えました。関連することを少し述べます。

内在的マインドフルネス、超越的マインドフルネス
 〜 超越以前の幸福と超越の幸福

 さて、「3つの共振」「アイロニーを伴った生き方」だけでは、おちこぼれるところがあります。外部に向かっての積極的な貢献が難しいと悩む人の極限状態です。「客観的リスト」には列挙されていないように見える状態にあることです。こういう人は幸福になれなくていいのでしょうか。
 たとえば、被災して職場を失ってまだ職がみつからない被災者、がんや難病など重い病気になっている人、介護状態になって働くことができない人、戦争やテロで故郷を追われた難民の人々・・・。種々のつらい状況がありそうです。どう生きたらいいのでしょうか。ここに、超越の幸福の哲学が必要になる人がいるのだと思います。2著に超越の幸福があることはもう検討しました。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4465

 「超越」は、宗教や哲学が扱っています。「マインドフルネス」は宗教を排除したものと得意になっていう科学者はどういう意図なのでしょうか。「無評価のマインドフルネス」だけがすぐれたものではないはずです。偏見がありませんか。宗教的な支援が必要な人が日本にも多数おられるはずです。家庭や仕事の現場、避難場所には、心の観察が必要であり、「無評価」では生きられません。
 私は、「マインドフルネス」には、宗教的なものでないレベルの(内在的)マインドフルネス心理療法と 宗教的なレベルのマインドフルネスがあると提案してきました。もう25年になります。宗教レベルのマインドフルネスは、西田哲学を根拠とするようになりました。公共の場所では「宗教」はいけないという場所があるからです。宗教的なレベル(超越的)のマインドフルネスも、仏教や禅で説明せず「西田哲学」で説明します。山口氏は、ウィトゲンシュタインの哲学からヒントを得た山口氏独自の哲学で説明していると思います。

 超越は自分を超えたものに包まれていてその働きの中にあるのであること、人生は自分の今の現実しかないこと、そこに幸福と不幸があること、すなわち、超越はすべての「幸福」をも生じさせる泉の中にあるので「生きていること」だけで幸福という基本的な幸福観だろうと思います。青山氏は、現実は客観から主観への浸食があり、また、主観から客観の浸食がある(青山255)といっています。西田哲学の行為的直観、創造的直観を想起します。
 哲学を極限状況にある人に理解してもらい信じてもらい実践してもらい、生きる現実の中に幸福もあり不幸もある、生きていることが幸福だと感じてもらえることが「超越的幸福」でしょう。そうやって生きていく暮らしの実践が「超越的マインドフルネス」でしょう。山口氏のものは「超越的幸福の哲学」でしょう。超越的幸福を感じるひとは、内在的幸福の感じ方も変わってくるでしょう。
 哲学者は、研究、思索、著述や、大学で学生への講義が主な役割であり、クライアントに実践的に直接支援をしないのが普通でしょう。難しいのでそういう哲学者だけでは一般市民には不足です。
 哲学者の哲学を活用して現場で対機説法的にやさしく説明して実践の支援をする人が「マインドフルネスの実践支援者」でしょう。私のところでは「マインドフルネス瞑想療法士🄬」と称しています。内在的マインドフルネスをアドバイスする人と超越的マインドフルネスをアドバイスする人がいます。

 日本の仏教者には、こういう「超越的幸福」を感じてもらえる「宗教思想」と「宗教実践」を提示していく計画はないのでしょうか。超越でない教えや実践は、宗教者でなくてもたくさんあります。超越でない幸福への対策は、ブームのマインドフルネスですみます。宗教者ならではのことがないのでしょうか。

文献
青山拓央(2016)『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』太田出版
山口尚(2019)『幸福と人生の意味の哲学』トランスビュー


【書籍紹介】
『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』
『幸福と人生の意味の哲学』

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4459


Posted by MF総研/大田 at 08:23 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL