CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«大乗仏教、日本的マインドフルネス・西田哲学の実践 | Main | 幸福は簡単には断定できない»
『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』 [2019年12月11日(Wed)]

書籍紹介
『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』
『幸福と人生の意味の哲学』

 幸福の哲学に真剣さが足りないようだとの批判があった(山口尚氏)。そこで、2つの真剣な「幸福の哲学」を紹介したい。ほかにもあるのだろうが、私の目に入ったものにすぎない。

 なぜ、幸福の哲学を参照するのかというと、マインドフルネスに深く関係するからである。マインドフルネスがブームになってから、人々が日本の禅や仏教ではなくて、外国の宗教者の団体などに篤いまなざしを向け、わざわざ遠くへ行くひとがいるからである。そこまでするのは、幸福になりたいという人ではないのかと思える。そこまでして、幸福になれるのだろうか。
 外国のマインドフルネスは、宗教ではないといいながら、宗教関係者が提供している。宗教も自己の苦を観察する。観察は、宗教と無縁ではない。宗教は自分の宗教を断定する傾向がある。深い大乗仏教者はそれをしないのだが(勝義諦、無住処)。

 この哲学者は、断定する宗教に懐疑的なところがある。宗教者は断定する傾向がある。人々はそういうものに向かう。

「「いかに」への問いへの回答は、人生論や宗教に求められていきます。」 (青山、10)

「「いかに」に関する天下り式の指針は、人生論や宗教に求められていく。 その求めに応じて具体的な「いかに」が与えられるとき、人生論や宗教は「何」についても天下り式の答えを与えているものです。つまり、幸福とは他者との連帯であるとか、幸福とは心の平穏であるとかいった答えを。」 (青山、11)

 この2つの書籍は宗教ではないのに、宗教者とは違う超越の哲学に触れている。この2著は丁寧な検討を重ねていく学問的な誠実さの現れとして」超越の幸福まで触れており、相互に認め合い、補完しあっているように私には思える。とても深い。見る考える行為することを超えた「自己の存在」の幸福だ。

3つの問い

 「幸福についての問いには、少なくとも次の三つがあります。 幸福とはなにか。 いかにして幸福になるか。 そして、なぜ幸福になるべきかーーー。 これらの問いはつながり合っていて、どれか一つに答えようとすると、 他の問いにも応えることになります。」(青山、9)

 2著については、次で触れていた。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4196
 「大切な話題があります。自分は存在する価値をもった人間であるという感覚、つまり、自己の重要感についてです。 人間はーーある意味では困ったことにーー他人の承認を経るかたちでしか、十分な重要感をもつことができません。」 (青山、p157)

 「愛されることによる重要感の充足は、自分の美点への賞賛というより、自分の存在への祝福(存在そのものの肯定)としてなされます。自分という人間がいることはーーたとえ特別な美点などなくともーーそれ自体として祝福されるべきことだと、他者からの愛は感じさせてくれるのです。」(青山、p120)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4448
 「私は職業哲学者であり、人生経験もその方向に偏っていますが、哲学研究と重要感の関係についても少しだけ述べさせて下さい。日本の哲学研究には独自性がない---海外の哲学の後追いにすぎない---という風説がありますが、本当に欠けているのは、・・・」
 「 良い邦語文献がある場合でもーー海外文献にしか言及しない例などはよく見られます。」 (青山p159)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4442
 「私たちが生き、行為し、語るとき、それを「包み込む」場のようなものが在る。 こうした私たちを超えた何かこそが、本書が「超越」と呼ぶところのものです。」(山口p200)

 「幸福は<眼前に現れうるもの>を超えた次元につねにすでに存在している、と指摘されるでしょう。」(p206)

 「ウィトゲンシュタインは、<語りえぬもの>を「神秘」と呼び、それを大切にする姿勢を重視しました。」(p217)

 「私が最も嫌悪するのは、生の安全で怠惰な継続が保証された環境において何にも 真剣に向き合わずヘラヘラと笑い、そうした安全地帯から、何かに必死で向き合うひ とを「お気の毒に」と嘲笑するひとびとである(とはいえ私は、そうした生き方をし ていることそれ自体が彼らあるいは彼女らに対する最大の「罰」だ、とも考えている のだが)。」(p267)

文献
青山拓央(2016)『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』太田出版
山口尚(2019)『幸福と人生の意味の哲学』トランスビュー




【書籍紹介】
『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』
『幸福と人生の意味の哲学』

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4459
☆ この2著は、人生、幸福、いかに生きるか、ということについての真剣な哲学書です。マインドフルネスSIMTと同様に、自己を超えたもの(超越)のあることが含まれています。幸福な人生を生きるためには、自己に押し寄せる出来事を真剣に「観察して適切に行動」(=マインドフルネスSIMT)しないと、自分や他者(組織も)を不幸にするからです。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4532
★ 新型コロナ肺炎によって3種の幸福がおびやかされて

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4476
★宗教の真理を哲学的に明らかにした西田哲学が世界に注目されて
 〜宗教的、超越的な自己、人生、幸福は宗教者が説かない奇妙さ、しかし、 多くの哲学者が認めている。これを悩む一般市民にやさしく翻訳して導くリソースは精神科医やカウンセラー。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4474
★哲学者が超越をいうのに、仏教者がいわない状況の奇妙
 〜仏教は教団の内と外から再検討が必要

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4469
★内在的マインドフルネス、超越的マインドフルネス

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4467
★「アイロニーを伴った生き方」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4465
★超越的幸福

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4462
★快楽、欲求充足、客観的な人生のよさの3つの共振

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4460
★幸福は簡単には断定できない

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4459
★3つの問い
 =何、いかに、なぜ、

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4196
★他人から自分の存在価値を評価されたい (青山)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4448
★ 良い邦語文献がある場合でもーー海外文献にしか言及しな学者(青山)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4442
★生き、行為し、語るとき、それを「包み込む」場のようなものが在る。 こうした私たちを超えた何かが「超越」(山口)
★幸福は<眼前に現れうるもの>を超えた次元につねにすでに存在している(山口)

★ウィトゲンシュタインは、<語りえぬもの>を「神秘」と呼び(山口)
★最も嫌悪するのは、生の安全で怠惰な継続が保証された環境において何にも 真剣に向き合わずヘラヘラと笑い、そうした安全地帯から、何かに必死で向き合うひ とを嘲笑するひとびと (山口)

Posted by MF総研/大田 at 23:03 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL