• もっと見る
«社員の自殺、教育主任を自殺教唆で書類送検 | Main | 『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』»
大乗仏教、日本的マインドフルネス・西田哲学の実践 [2019年12月09日(Mon)]

大乗仏教、日本的マインドフルネス・西田哲学の実践

「すべての現場に至誠の旗印をかかげた寺をこころの中に」

 家庭も職場も大学も病院も、対人場面は「評価する評価される」空間・時間です。瞬間的な表現です。見ることと行為が瞬間的に同時です(行為的直観)。発語、行為の瞬間に自己に見えることで行為と感覚(見るなど)が同時にあることが観察(=マインドフルネス)できます(西田哲学は別の論理で説明しますが)。無評価ですむはずがありません。なにがあるか評価しなければ、自分、他者、組織を不幸にします。時には個人や組織の生命を失います。
 個人の行為が組織の崩壊を招く致命的なエゴイズムを含むことがあります。

 だから、大乗仏教、日本的マインドフルネス(=シムト)は、思考、欲求、発語、行為の前に評価観察を当然のこととして観察する訓練をします。次善の訓練方法が事後に言葉、行為にエゴイズム(独断的本音)があったことの反省観察をする訓練を継続します。早く反省できれば、対策の行為ができるからです。 これをしないと、自分のエゴイズムが意識上にあがらずに、他者や組織を傷つけたことに気づきません。後で、自分にも重大な不幸(不和、対抗措置、告発など)がくるおそれがあります。
 そして、これは常に実践すべきだと西田哲学は主張していると思います。常に、すべての空間で一生実践すべきものです。日本のマインドフルネスSIMTもそう提案します。そして、大乗仏教、道元禅師、西田哲学もそうであったはずであると解釈して、現代に生かせるところを活用したいと思います。学問的な議論を回避せず、解釈の違いが指摘されれば議論して修正できます。

 実際にとても難しいです。一生続く成長だといいます。大乗仏教に「自己成長」が重視されています(大竹晋氏)。そして、道元禅師は死後の評価まで重視しています。そうあるべきでしょう。 自分の生きている間だけ自分が自由にできればいい、死んだあとはどうでもいいというのは残るメンバーを無視して無責任です。

 こんな話もあります。道元禅師は。自分の思う寺を建立したかったが、できるかどうかわからなかったのでしょう。「柱一本でも建てよう。後世の人がああいう夢をもったひとがいたのだな」と思ってくれるだろう、ひきついで完成してくれる人もいるかもしれないというのです。エゴイズムよりも、至誠の夢や志を重視したのでしょう。いいものは、後世の人が志をひきついでくれます。エゴイズムはひきつがれません。

 大乗仏教の人々は経典を、道元禅師は『正法眼蔵』を残し、西田幾多郎博士は『場所的論理と宗教的世界観』や2つの実践哲学の論文を残されたので、真意がわかります。具体的な実用化が後世のわれわれの課題でしょう。まず、柱一本です。

 それは、SIMT(「柱一本」にすぎません)であるというわけではありません。大乗仏教の経典が多種あるように、出家や学者だけのものでなく、多様な現場のための現場による多種多様な至誠の方法が開発されることを故人は期待しているでしょう。種々の領域の人々によって、「すべての現場に至誠の旗印をかかげた寺をこころの中に」作っていくのだろうと思います。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4243
【目次】このようなところに活用できそう
 マインドフルネスSIMT 2019


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4218
★専門家のエゴイズム

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4169
★評価するマインドフルネスはどうあるのか

★後期西田哲学の実践論
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3582
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/shuppan/ronsou-1-gaiyou.pdf
Posted by MF総研/大田 at 07:59 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL