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(18)異邦人のまなざし [2019年12月05日(Thu)]

(18)異邦人のまなざし

もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える

【書籍紹介を兼ねて】
小坂井敏晶.jpg
「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社
 この書籍紹介を兼ねて、専門家多数派のエゴイズムについて考てきた。まとめておきたい。

異邦人のまなざし

 あとがきにある「異邦人のまなざし」を学生、市民に期待したいというのが著者のいいたかったことであり結論であろう。

 「全体主義から人間を救う「異邦人のまなざし」に私は期待するのである。」(p352)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417
 異端者、異邦人の使命は、全体主義、画一主義、還元主義の暴走をくいとめることである。

 なぜなら、みてきたことから、私は次のように受け止めた。

 多数派による全体主義を絶対視して同調することは、提唱者の意志に従うこととなり、自分独自の意志がない。たった一度きりの人生なのに、それでいいのか。
 多数派を絶対視すると、自由のない集団、国となる。人間はじつに複雑で多様である。自分が自由を奪われたくないように、他者の自由を抑圧することは避けるべきである。
 多数派のみかたを絶対視すると、それにあてはまらないものの人権を阻害する、差別し、苦しめる。それにあてはまらない少数派の苦しみを無視、傍観し続けることになるおそれがある。みな、平等な人間である。

 全体主義の学問批判はフランクルやオルテガにあったもので、随分と古い警告であるが、今でも全体主義が起きており、多数派の暴走を食い止める異邦人が必要である。さもないと、自由のない独裁団体による独裁国家になりかねない。世界は激変していくなかで、学問も固定するわけにはいかない。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2670
★フランクル=学問における全体主義、画一主義、還元主義を批判



(日本の哲学者は深い幸福論の哲学、深い超越的自己をいいますね。宗教者からはあまりみないものが日本の哲学者にあります。次にご紹介させていただきます。)
連続記事目次
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(参照)「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社


【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3962
☆西田幾多郎、大竹晋氏による仏教批判

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3270
☆物となって見、物となって考え、物となって働く
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3359
☆至誠の実践
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
☆「後期西田哲学の実践論」の論文

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3270
★エゴイズムのない深い自己、堕落の観照とは

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3875
★忖度社会ニッポン

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
★オルテガ「大衆の反逆」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4419
★少数説を知ることができる場を作る

【参照】
 綿野恵太『「差別はいけないとみんないうけれど』平凡社
 北村英哉・唐沢穣『偏見や差別はなぜ起こる?』ちとせプレス
 鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』晶文社
  山口尚『幸福と人生の意味の哲学』トランスビュー
 青山卓央『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』太田出版
 泉谷閑示『「私」を生きるための言葉』研究社


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
★日本には深い自己観察の哲学と実践がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789
★仏教者の「思想的な怠惰」
Posted by MF総研/大田 at 11:53 | エゴイズム | この記事のURL