CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«(15)自分自身が研究対象に含まれる人文科学 | Main | (17)論文に海外の文献ばかりを引用»
(16)悪の意識なく意図しないでやってしまう差別・偏見・排除 [2019年12月02日(Mon)]

(16)悪の意識なく意図しないでやってしまう差別・偏見・排除

もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える

(参照) 綿野恵太『「差別はいけないとみんないうけれど』平凡社

 現代でもある差別、偏見、排除などは、他者を苦しめる。生きがいを奪われて、うつ、自殺においこむこともある。これは、大学、企業、官庁、NPOなどにもある。他者を苦しめるので、苦からの解放、慈悲、自己成長を重視した大乗仏教、道元などは、煩悩、己見我利我執といい、観察し気づいて抑制せよと強く主張した(残念ながら多数派の仏教の学問からは無視されてきた「慈悲」「自己成長」に関係するが)。

 幅広く行われて他者を苦しめ、科学、技術、解決法などの開発を妨害することにもつながっている、こうした、差別、偏見などは、行使している本人には、そういう意図はないと思っているので、なかなか停止されることがない。これは大学でも同じだ(小坂井、p235)
 私も禅の研究、マインドフルネスの研究をやっているので、大学や他の集団で起きていることを知っている。

 「差別は「自分が気づかないうちに相手を傷つけてしまっていること」であり、「普通」「あたりまえ」としていた」ことなのである。」(綿野p243)

 「差別的な言動の行為者は、必ずしも明確な「意図」を持つわけでない。」(p244)

 「差別者からすれば、差別と認定される自身の言動は悪意のない、「普通」「あたりまえ」のことであり、取り立てて問題にする必要のないものでしかない。」)p244)

差別者は自分の判断を正当化する

 学問の世界でも、多数派の説が長く継続されることは、次の認知科学の研究から理解できる。 差別、偏見、独断であっても自己の判断を正当化している。変更されることはない。

 「このように、差別が日常的な慣習と区別されるものではないために、非難された差別者の弁明(「わざとやったのではない」「そんなつもりでいったんじゃない」)は悪質な言い訳や言い逃れに聞こえてしまう。」(p244)

 「ハイトの実験があきらかにしたのは、道徳的な判断において人間はまず直観にしたがって判断し、そのあとに論理的にじっくり思考を働かせ、かつ、自分の判断を正当化する、ということだ。」(p160)

 「ハイトは、ひとびとがまず「道徳的な判断を、すみやかに、そして情動的に下そうと」し、そして、「すでに決定済みの判断を正当化する理由を、あとから探そうとするもの」であることを示した」(p263)

 こんなことでうつになったひとがいる。ある団体で役員として久しく活動していたが、ある時、外部から役員を迎えた。意見が違うことが時々あったが、やがて、自分のささいなミスをとがめられ、多数派工作をされて役員をやめさせられた。乗っ取られたのだ。排除されるほどのミスとは思えないが、団体を自由にしたいその人に排除されたにすぎない。NPOの役員は、多数決によるので、合法的に簡単に乗っ取られてしまう。
 乗っ取りを企てた者、および同調者は悪いことをしたとは思わず、自分を正当化しているであろう。

 学術団体、宗教団体でも多数派によって運営されていくので、少数派の意見が採用されることはない。長期にわたって、多数派が継続していく。しかし、そのような集団は沈滞化し、社会の変動についていけないので、徐々に衰退していくであろう。 外部に環境に応じた新しい解決法が開発されて、そちらが信頼を得る。

 大乗仏教にあった3つの核心のうち、「慈悲」の視点から、仏教が行っていないことを「マインドフルネス」が市民の信頼を得た。自内證、自己成長は薄いものの、多くの市民がマインドフルネスに移った、
連続記事目次
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(参照)「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社


【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3962
☆西田幾多郎、大竹晋氏による仏教批判

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3270
☆物となって見、物となって考え、物となって働く
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3359
☆至誠の実践
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
☆「後期西田哲学の実践論」の論文

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3270
★エゴイズムのない深い自己、堕落の観照とは

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3875
★忖度社会ニッポン

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
★オルテガ「大衆の反逆」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4419
★少数説を知ることができる場を作る

【参照】
 綿野恵太『「差別はいけないとみんないうけれど』平凡社
 北村英哉・唐沢穣『偏見や差別はなぜ起こる?』ちとせプレス
 鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』晶文社
  山口尚『幸福と人生の意味の哲学』トランスビュー


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
★日本には深い自己観察の哲学と実践がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789
★仏教者の「思想的な怠惰」
Posted by MF総研/大田 at 07:22 | エゴイズム | この記事のURL