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(15)自分自身が研究対象に含まれる人文科学 [2019年12月01日(Sun)]

(15)自分自身が研究対象に含まれる人文科学

もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える

(参照)「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社

 いかに生きるか、幸福な人生、仏教、禅、マインドフルネス心理療法が人文科学で扱われる。 その学問の対象に自分自身も含まれる。真剣でなければならないはずなのに、その説、解釈で、自分自身に納得できますか。立派に科学者としての役割をはたしていますか。

自分自身が対象に含まれる人文学であるから

 小坂井氏はこういう。

 「慣れ親しんだ思考枠から抜け出すためには、研究対象だけ見ていても駄目である。問題に対峙する人間の世界観や生き方が変わる必要がある。 人文学では多くの場合、自分自身が研究対象に含まれる。(・・・・) だからこそ、思考枠を崩すのが難しい。自らの存在を正当化する基盤が危うくなるからだ。時には棄教や改宗にも似た辛い体験をすることもある。そのような深い省察を経て初めて、豊かな見方が現れてくる。 研究は頭だけではできない。腑(はらわた)を切り刻み、苦渋に涙を流す身体運動だ。ハウツー本が提案するような情報のつまみ食いとは無縁の作業である。」(p86)

 「初期仏教はこういうものだった」というところまでは学者として普通だろう。しかし「初期仏教は四諦八正道をすすめた。すばらしい。みなさんにすすめたい。」と学者がいうならば、自分自身との対決がされていないと思われるだろう。その目標は、輪廻からの解脱であり、実践は大変難しい。自分でできないことをすすめるのは、無責任だ。

 道元の禅は「目的を持たない坐禅だ。」ということを学者がいうとしたら、本当にそんなものが、主君の命令で戦争にゆき、いつ死ぬかもわからない鎌倉武士、波多野義重が尊敬しただろうか。現代にも、目的を持たない坐禅を学者としてすすめるだろうか。自分はどうなのだろうか。米を生産する目的のある行為のほうが尊いのではないか。坐禅がなくても生きていけるが、食べ物がないと生きていけない。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4343
参照:全体に押し付け、情報制限はメンバーを不幸にする

 道元や大乗仏教には、我利我執、煩悩を観察気づいて抑制せよという言葉もある。なぜ、学者はそれを言わないのか。自分でできる目的を持たない坐禅のみをいうのか。 哲学者は道元に自内證(万法の我にあらざる時節の体験)、自己成長、慈悲があることを認めるが、自分ができそうもないことがあるとは認めたくないという自己都合、 自分の煩悩を見たくないという抑圧、回避を起こして学問的な真相を明らかにできないのか。 哲学者の間では、道元を超個、絶対無、無分節にあたることを鎌倉時代初期に指摘した偉大な宗教者と認める人が多いのだが、そういう偉大な人物を矮小化するのが、客観的な学問なのだろうか。 人文学は自分自身が対象に含まれるとは、まさにこういうところに現れるのだろう。

 幸福の哲学を論じた人として「このひとはこういった。あの人はこういった。」という学者。では、自分自身の幸福の哲学はどうなのか。それを追求しないで他人の論を紹介するだけか。 小坂井氏がいうのはこういうことではないか。大学で学者と称しながら、対象を真剣に向き合っていない学問が多いのではないか。


連続記事目次
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(参照)「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社


【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3962
☆西田幾多郎、大竹晋氏による仏教批判

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3270
☆物となって見、物となって考え、物となって働く
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3359
☆至誠の実践
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
☆「後期西田哲学の実践論」の論文

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3270
★エゴイズムのない深い自己、堕落の観照とは

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3875
★忖度社会ニッポン

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
★オルテガ「大衆の反逆」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4419
★少数説を知ることができる場を作る

【参照】
 綿野恵太『「差別はいけないとみんないうけれど』平凡社
 北村英哉・唐沢穣『偏見や差別はなぜ起こる?』ちとせプレス
 鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』晶文社
  山口尚『幸福と人生の意味の哲学』トランスビュー


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
★日本には深い自己観察の哲学と実践がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789
★仏教者の「思想的な怠惰」
Posted by MF総研/大田 at 10:53 | エゴイズム | この記事のURL