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(12)自由主義は反対者とも共生するもの [2019年11月25日(Mon)]

(12)自由主義は反対者とも共生するもの

もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える

 大学、企業、教団、官庁などで、少数派、改革的意見を封じこめることが起きている。これでは、自由主義ではない、民主国家とはいえない。哲学者鷲田清一氏は、次のように言う。

   「エリオットとおなじく、オルテガもまさにここ、対立が対立として認められる場所そのものが損なわれているところに「文化の解体」を見ています。そう、分離・分断の過剰が一つの社会、一つの文化を成り立ちえなくしている、と。だからこの本でオルテガは、解体を超える「最も高度な共存への意志」として自由主義的デモクラシーを強く擁護します。「パワーは強大であるのにあえて原則に従ってみずからを制限し、抑制し、犠牲にしてまでも、みずからの国家の中に、その社会的権力、つまり、最も強い人々、大多数の人々と同じ考え方も感じ方もしない人びとが生きていける場所を残すよう努める」不断の努力を、です。そしてそれを次のような感動的な言葉で書き記しましたーーー
    自由主義とは(・・・)多数者が少数者に与える権利なのであり、したがって、かつて地球上できかれた最も気高い叫びなのである。自由主義は、敵との共存、そればかりか弱い敵との共存の決意を表明する。人類がかくも美しく、かくも矛盾に満ち、かくも優雅で、かくも曲芸的で、かくも自然に反することに到着したということは信じがたいことである。 」(鷲田p30)
 「オルテガのあの「自由主義」の綱渡りのような規定は、どうあっても保持されねばならないと思います。それは、多文化性を受け容れる文化もまた多型的であるはずだという認識です。いえ、認識というより貫かれるべき意志と言ったほうがいいかもしれません。」
(鷲田p33)

 この自由主義は、他の集団でさえも、自由に議論しあって共生していこうという崇高な精神です。宗教思想が違うから、民族が違うから、学問的見解が違うから日本から出ていけとはいわないのです。
 ところが、大学やある集団では、おかしなことが起きています。仲間内で、発言、学問研究の自由を制限し、重要な地位から排除することが起きています。議論を尽くせ、少数派も重要な地位の一角を与えよというのがオルテガや鷲田氏の主張です。

 こういう多数派、権力を持つ者は暴走をやめよという主張は、文科系の学問、特に哲学です。 だから、哲学は重要な学問です。理科系が重要だ、文科系学問は無用という暴論があるそうですが、理科系の学問の暴走を止める学問は哲学であるという主張があります。(あとで見ます)
 (欧米のマインドフルネスは、自由、共生、他者不害などを含む哲学がないならば、悪用されないように何らかの倫理基準を定めるのがいいかもしれません。)

 このような多様性の人々が共生していくべき自由主義、民主主義の現代社会にあって、次のようなことがあってはおかしいのです。

(1)一つの集団の中で、理論的な主張をする少数派を、集団内教育部門から排除する。こうすると、この集団は、少数派の意見をメンバーが知る機会がなくなり、多数派の還元主義、画一主義、全体主義の内容だけがメンバーに教育されます。革新的な意見はなくなり環境や時代からとりのこされた集団になりがちです。

(2)同じ集団内の仲間であり、大学や団体で、多種の学問的な見解を外部に向かって発信しているのに、学問的な意見の対立があり、議論をつくさず、少数派の意見は哲学的に難しいので理解できないという多数派が多数派工作をして、学問的な議論をせず集団から少数派を排除する。こうすると、この集団は、かたよった意見の、理解しやすい還元主義、全体主義、画一主義の集団になります。深い哲学を理解しようとしない。学問の自由がない集団になります。これを外部に発信すると、市民もそれに気づきやがて市民が離れていくでしょう。

 こういう集団は、少数派、異なる意見をもつ人を排除するので、真の自由主義、民主主義ではないので、外部環境の変化に対応できず、対抗勢力があらわれて、長くは続かないでしょう。収益をあげて社員にも給与などで報いる企業ならば、メンバーが納得できるかもしれませんが、元来、メンバーおよび外部の国民の幸福を追求するはずの学問、宗教の団体にこういうことが起きるのは矛盾です。文化を解体させてしまいます。

【参考】

【参照】
 綿野恵太『「差別はいけないとみんないうけれど』平凡社
 北村英哉・唐沢穣『偏見や差別はなぜ起こる?』ちとせプレス
 鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』晶文社


連続記事目次
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(参照)「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
★日本には深い自己観察の哲学と実践がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789
★仏教者の「思想的な怠惰」
Posted by MF総研/大田 at 21:09 | エゴイズム | この記事のURL