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(9)内集団びいき [2019年11月22日(Fri)]

(9)内集団びいき

もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える


   差別、ハラスメントは、加害の本人は気づきにくいのです。 無意図的であったり、差別を差別、ハラスメントをハラスメントと自覚できないことが多いのです。企業人や大学人によるセクハラ、アカハラ、パワハラを被害者が被害を訴える先が、企業や大学であり、仲間によって調査されます。不公平です。「もみ消される」ことがありえます。綿野恵太氏がこういうことを指摘しています。「内集団びいき」「内集団バイアス」についてこういっています。

 「「内集団びいき」というバイアスは、自分が所属しない集団(外集団)よりも自分が所属する集団(内集団)を優遇する傾向である。・・・・
しかし、多種多様な人間が暮らす現代社会で、自分が所属する集団のみを優遇することhs、必ずしも良い結果につながるとはかぎらない、自分が 所属しない集団に不当なかたちで不利益を与えることは、差別につながる可能性がある。「内集団びいき」は、現代社会の維持や潤滑な運営と齟齬をきたしてしまう。」(綿野p234)


 一つの集団内で、派閥に分裂していれば、自分の所属する派閥が「内集団」と同じことになります。「内集団」のものを高い地位にしたり、そうでない人を重要な位置から排除したりします。こういうことがあると、社会にとってはよいことはありません。内集団でない人が、革新的なことをもっているかもしれないからです。
 仏教やマインドフルネスでも派閥があります。多数派が内集団となって、よきものを排除してしまうと、一般市民は、少数派のものを知る機会がなくなります。マインドフルネスは「科学」というから、そうでないことを期待します。少数意見も認めあって、共生をめざしてほしいです。
 浅いもの、やさしいものが、理解されやすいので、多数派になりやすいのです。自分の理解できない革新的なことをいうのが不安であり、自分のものを批判されることになることを嫌って、多数派工作をする傾向があります。内集団をひいきにするのは、「自分の評判がよくなるかもしれないし、誰かからの見返りがあるかもしれない」からです。(北村・唐沢、p17)


 私もこういうことをしばしば見聞きしています。こういうことは、多数の集団で起きています。社会は必ずしも、いい方向に進むわけではありません。

【参照】
 綿野恵太『「差別はいけないとみんないうけれど』平凡社
 北村英哉・唐沢穣『偏見や差別はなぜ起こる?』ちとせプレス

(編集中です)
連続記事目次
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(参照)「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
★日本には深い自己観察の哲学と実践がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789
★仏教者の「思想的な怠惰」
Posted by MF総研/大田 at 21:22 | エゴイズム | この記事のURL