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(8)企業大学人によるハラスメントを当事者側が調査認定する不公 [2019年11月21日(Thu)]
この連続記事にある「後期西田哲学の実践論」(抜き刷り、24ページ)を抽選で、30名様に贈呈します。
葉書で、「後期西田哲学の実践論がほしい」と書いて、住所、お名前をおしらせください。 抽選で、30名様にお送りします。締め切り、11月25日(当日消印有効)。
葉書の送り先は、こちらのトップに表示しています。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/jimu/jigyou.htm
〒349-0144 埼玉県・・・・・17番5号
大田健次郎、あてに、
(注)今期、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座を受講中のひとは、申し込み不要です。

(8)企業大学人によるハラスメントを当事者側が調査認定する不公平

もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(8)企業大学人によるハラスメントを当事者側が調査認定する不公平

 
   差別、ハラスメントは、加害の本人は気づきにくいのです。 無意図的であったり、差別を差別、ハラスメントをハラスメントと自覚できないことが多いのです。企業人や大学人によるセクハラ、アカハラ、パワハラを被害者が被害を訴える先が、企業や大学であり、仲間によって調査されます。不公平です。「もみ消される」ことがありえます。綿野恵太氏がこういうことを指摘しています。

 「オフィスやキャンパスで性差別や人種差別は「ハラスメント」として禁止されている(あるいは禁止すべきとされるようになってきている)。 しかし、ハラスメントの調査や認定、処分は企業や大学当局によって行われる。 上司と部下のあいだ、教授と学生のあいだという権力関係にある場で発生した「ハラスメント」であるにもかかわらず、いっぽうの当事者である権力者側(上司や教授)が調査等にあたるとなれば、たほうの当事者(部下や学生)による訴えがもみ消されてしまうことは十分に予想される。」(綿野恵太『「差別はいけないとみんないうけれど』平凡社、p237)

 差別、ハラスメントは、意識されにくいのです。大乗仏教では「煩悩」とされて、道元禅では、己見我利我執などと呼ばれて、自分を観察して意識上にあげて抑制するように厳しく主張されます。 それが自分や他者を傷つけるためです。簡単ではありません。見方考え、行為にあるエゴイズムの心理の有無を評価することが大乗仏教や道元による「マインドフルネス」では重視されています。仲間を甘くするのも、煩悩です。「内集団バイアス」「内集団びいき」があります。気づきにくいのです。

 企業や大学人は、ハラスメントや差別が訴えられた時、仲間をかばい、被害者に不利にすまさないでしょうか。団体側の規則のハラスメントの定義に該当しないとして退けることがないでしょうか。「内集団バイアス」「内集団びいき」で身内に有利にする傾向があります。
 学校におけるいじめ不登校、いじめ自殺の調査にも、これが起きているでしょう。調査結果があとで、くつがえされることが起きています。

 西田哲学でも、実践としては「至誠」が実践方針であるために、臨床の西田哲学の実践では、内集団バイアス、ハラスメントの心理、種々の己見我利我執を観察しなければなりません。日本の観察は厳しいです。
連続記事目次
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(参照)「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
★日本には深い自己観察の哲学と実践がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789
★仏教者の「思想的な怠惰」
Posted by MF総研/大田 at 20:48 | エゴイズム | この記事のURL