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(5)母親の愛、絶対の愛 [2019年11月14日(Thu)]
この記事にある「後期西田哲学の実践論」(抜き刷り、24ページ)を抽選で、30名様に贈呈します。
葉書で、「後期西田哲学の実践論がほしい」と書いて、住所、お名前をおしらせください。 抽選で、30名様にお送りします。締め切り、11月25日(当日消印有効)。
葉書の送り先は、こちらのトップに表示しています。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/jimu/jigyou.htm
〒349-0144 埼玉県・・・・・17番5号
大田健次郎、あてに、
(注)今期、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座を受講中のひとは、申し込み不要です。

(5)母親の愛、絶対の愛

もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(5)母親の愛、絶対の愛

 仏教や禅の研究をする研究者(大学に多い)が、深い自己の哲学を理解できず、否定することによって、学生や市民は深い自己、深い実践、深いマインドフルネスを知らされなくなると言いました。
 大竹晋氏が大乗仏教の核心が見失われているといった3つのうち、「自内證」といったものがあります。自己洞察の継続によって深い自己を体験することです。禅では、悟り、見性といいます。大乗仏教は、無生法忍という語が経典に出てきます。唯識では、真見道といいます。欧米の人でも体験することがあります(下記)。

 西田哲学の次のこととも関係があります。我々は、意識現象、意識作用を体験的に観察できます。最も深い体験が、絶対無の体験です。自内證、見性です。その時に、自己の意識現象も意識的自己も、絶対無(絶対者、神、阿弥陀仏)に包まれていることを知るのです。「このようなつまらない自分が絶対者の愛に包まれている」と実感するのです。哲学者西田幾多郎の最後の論文の言葉です。

 「絶対者はどこまでも我々の自己を包むものであるのである、どこまでも背く我々の自己を、逃げる我々の自己を、どこまでも追い、これを包むものであるのである、すなわち無限の慈悲であるのである。・・・・ どこまでも自己自身に反するものを包むのが絶対の愛である。どこまでも自己矛盾的存在たる意志的自己は、自己成立の根底において、矛盾的自己同一的に自己を成立せしめるものに撞着するのである。」 (「場所的論理と宗教的世界観」旧全集11巻435頁)

 西田哲学は、こうして場所的論理、逆対応の論理で、論理的に説明しているのです。 こうした深い哲学でないと、救済されないひとが多いのです。自分は生きる価値がないとか、自分とは何ものなのかという苦悩、死ぬしかないという深刻な苦悩などを持つ人たちです。

我が子に対する母の愛

 私は、マインドフルネスSIMTを用いたカウンセリングをしていますが、母親がわが子の悩むのを解決してあげたいと訪問なさいます。
 母親の我が子に対する「愛」は絶対の愛に似ています。子どもが、うつ病とかひきこもりとかで苦しんでいて、何とか解決してあげたいと思って来談されます。
    (注)カウンセリングでは、深い哲学の理解は必要ありません。浅い意識の範囲のものが多いです。拙著「うつ・不安障害を治すマインドフルネス」の意志的自己レベルの浅いマインドフルネスSIMTで間に合う問題が多いです。自己とは何かという深い悩みのひとは来談されません。普通のうつ病、不安症、PTSD、過食症など、ご相談ください。
 母は子を人格レベル全体で包みこんでいます。目前にいる時も、外出していて目前にいない時でも、我が子の幸福を願っています。愛を注いでいます。母の愛は、空間に制約されません。 どこにいても愛します。遠くで倒れたと連絡があれば、かけつけます。 そして子が生きていく支援をします。子が、「こう考えるから愛する」「こういう行動をするから愛する」というのではありません。何を考えようと、何をしようとも愛します。まれですが、子が犯罪を犯しても愛します。災害や病気、事故で亡くなった子がいれば、母の愛は死後も続きます。母の愛は死も超えています。
 友人や職場の人はこういう愛は持ちません。言葉や行動ですぐに嫌われ、絶交、排除、いじめです。
 母は、子の過去、現在、未来にわたって、愛します。時間に制約されません。母は子が眠っている時、つまり、子が意識していない時にも、風邪などひかないかを見守っています。子の意識を超えて愛で包んでいます。

すべての人に対する根底から働く絶対者の愛

 こうした人間の母の愛を参照して、上記の西田哲学の絶対者の愛を何とか理解できないでしょうか。
 西田哲学の絶対者は「自分」の外から見守っているのではなくて、自己の精神(内在)の奥底から包んで働いているのです。自分の感覚、考え、行為のすべて、そして意識的自己までのすべてを包んで、生かしています。自分の悪や悩みを受容、否定しています。自分の決断し行為することをささえてくれています。 絶対者は自己の意識や自己と別なものではなくて、そういう自分の意識が絶対者そのものの表現です。絶対者と自己とが一つです。西田哲学は「射影」だともいっています。
 絶対者と自我は相反して働きます。絶対にまかせて至誠で行為すれば、自己の行為が絶対者のものとなります。絶対を自覚しなければ、すべてが自己のものです。エゴイズムで自己他者を苦しみ、苦しめるでしょう。逆対応です。逆対応は最終論文で、至誠は「実践哲学序論」で詳しく説明しています。  こうした自覚ができると、自分は何なのかという苦悩から救われるのです。どう生きるかということは、いきがいをみつける問題であり、自己存在は問題にならないのです。だいたい、大学人は、職を得て満足しているので、こうした自己存在の深い苦悩を理解しにくいのでしょう。
 幸福の哲学も多くの著名人や哲学者が論じていますが、たいてい、働くことや人を愛することが幸福だといいます。では、職もなく愛する家族もなき人は不幸なのか、幸福はないのか、という重大な問題に応えてくれません。うつ病で自殺していく人も、自己が絶対者の愛に包まれていることを自覚できれば、死なないですむでしょう。極めて重要な哲学です。理解できないからといって否定するのは、救済を邪魔することになるかもしれません。宗教的だから排除するというのもおかしいでしょう。
 ここで、前の小坂井敏晶氏の記事につながります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4419
 自分が理解できなくて不安にされる哲学的な主張に接して、正面から理論的に批評することなく否定する言説だけを言う。市民を浅く狭い知識に閉じ込める危険性がある。

 絶対者の愛に包まれているなら、職や愛するひとがなくなっても、絶対者の愛があります。 山口尚氏の「超越的幸福」が似たところがあります(「幸福と人生の意味の越学」)。 西田博士は、職が不安定な時がありました。妻や兄弟、子をなくすことがたくさんありました。不幸ななかで、西田哲学は徹底的に考えられました。この人には自内證の体験があると考えられます。
 根底の絶対無は、単に思想ではなくて、事実だといいます。精神、内在では意識できないが、もっと深い事実であり、鈴木大拙の言葉を使って「心霊上の事実」であるといいます。
 「哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない」(同p371)といいます。哲学者や仏教学者が、自分の学問体系(それは対象論理)から、または無宗教をほこりとする自分の見解から、こういう深い体験的事実を妄想だなどと否定してはいけないというのです。

 こういう深い自己は、大乗仏教や禅の自己洞察の末に体験するというのです。 日本では、芸術家でも体験した人がいます(河井寛次郎、東山魁夷など)。欧米には、この訓練方法(深い禅修行、人格的自己レベルの深いマインドフルネスSIMT)がないので、多くはいませんが、偶然に体験した人がいます。最近では、フランスの哲学者アンドレ・コント=スポンヴィル。「精神の自由ということ〜神なき時代の哲学」(紀伊国屋書店)に詳細に述べられています。
 現在の人々も、自己とは何か、人生の意味とか強い関心を持っています。類書がかなり売れているようですが、西田哲学とは違うものも多いようです。

 西田哲学を肯定する人、大乗仏教に似たところがあること、幸福の哲学も類似したことを主張する少数意見を表明する人がおられるので、そういう真摯な少数派の学問を知る機会がなければならないと考えます。そういうなかから、ゆきづまりを見せる従来の 還元主義、画一主義、全体主義的な見解実践学問、幸福論の哲学など( フランクルが批判) を超えて、新しい解決のヒントを得ることができるかもしれません。自己洞察では、欧米になく、日本に窮極まで検討されたものがあります。

【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3262
★アインシュタイン・絶対の愛

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3118
★絶対矛盾的自己同一
連続記事目次
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(参照)「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
★日本には深い自己観察の哲学と実践がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789
★仏教者の「思想的な怠惰」
Posted by MF総研/大田 at 21:41 | 深いマインドフルネス | この記事のURL