『善の研究』(8) NHK Eテレビ 100分de名著 [2019年10月22日(Tue)]
『善の研究』(8) NHK Eテレビ 100分de名著=マインドフルネス心の世界遺産NHK Eテレビで、西田幾多郎の「善の研究」を紹介しています。14日、第2回が放送されました。いくつかみていきます。 政治や技能、学識も悪となる(【 】は、テレビのナレーション。若松さんの筋でしょう。)善とは利己的でない行為善とは、利己的でない行為です。「富貴、権力、健康、技能、学識もそれ自身において善なるのではない。もし、 人格的要求に反した時にはかえって悪となる。 そこで絶対的善行とは人格の実現そのものを目的とした則ち意識統一そのもののために働いた 行為でなければならない。」(p65) テキストにはなく、岩波文庫の原著202ページは、こういいます。「善」、日本の禅修行は厳しいものです。 「善とは一言でいえば人格の実現である。これを内より見れば、真摯なる要求の満足、即ち意識統一であって、その極は自他相忘れ、主客相没するという所に至らねばならぬ。外に現われたる事実として見れば、小は個人性の発展より、進んで人類一般の統一的発達に至ってその頂点に達するのである。」 トレーニングすれば、誰でもできるといいます。無私、無我の行為です。後期には、「至誠」といいます。外に現れる行為は「ポイエシス」といい、内面の人格向上の実践は「プラクシス」といいます。 西田は「我々が内に自己を鍛錬して自己の真体に達すると共に」(文庫p205) といいます。これが、西田哲学による「マインドフルネス」観察、実践になります。己見我利我執を打捨てよといいます。自覚しにくいので、マインドフルネスの観察が必要です。 わかりにくいので、知っている人のアドバイスを受けないと、間違えます。 方向が違うと、何十年やっても達することがありません。 禅やマインドフルネスをやっている人でも、独断、利己、我利を起こします。 日本の西田哲学のマインドフルネス=観察実践は、自分の見方、考え、言葉、行為が独断偏見で汚染されていないかどうかを「評価」するのです。だから、ちょっと難しいところがありますが、だから、うつ病や人間関係の悪化していたものが改善もするのです。パワハラ、セクハラ、アカハラも、教師のいじめも、こどものいじめも、「独断」で起こっています。 「道徳の事は自己の外にある者を求むるのではない、ただ自己にある者を見出すのである。・・・いかに小さい事業にしても、常に人類一味の愛情より働いているひとは、偉大なる人類的人格を実現しつつある人といわねばならぬ。」(205−6) 上に「自己の真体に達する」ともあり、「人類一味の愛情」ともあります。フランクルが「一人類教」といったように、すべての人のこころの最も深いところに働く共通の根源、無我のありさまを言っています。 だから、地位、身分、学識には関係ない行為ですから、農業、主婦の家事、病人の治療行為であっても、善によって、根源にいたります。すべての人にあるので。エゴイズム、我利、独断偏見を捨てると、根源のものが現れてくるのです。 西田哲学によって導かれるマインドフルネス=観察は、自分の「邪悪」「独断偏見」「他害」がないかどうかを「評価」しながら見るもの聞くもの、言葉、行為を観察して生活することになります。簡単ではないです。西田幾多郎も10年以上、師匠について実践しました。欧米のマインドフルネス、無評価の観察をも含み、さらに範囲が広く深い観察です。独断偏見利己の色眼鏡がないかどうか評価判断します。 (続く) 参照 「100分de名著 善の研究」若松英輔、NHK出版 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4382 ★目次(1) https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329 ★後期西田哲学の実践論 「実践哲学序論」を中心に ★「マインドフルネス心の世界遺産」の索引です http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/sekai-isan/mokuji-sekaiisan.htm (注)マインドフルネス心の世界遺産の例=河井寛次郎、大山忠作。 ★河井寛次郎 ★大山忠作 |
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Posted by
MF総研/大田
at 21:54
| マインドフルネス心の世界遺産
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