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精神科医がすすめる生き方―「利己主義」を抑制(2) [2019年08月19日(Mon)]

精神科医がすすめる生き方―「利己主義」を抑制(2)

「利己主義」を抑制する4つの重層的な秩序

 利己主義は、西田哲学でいう独断我執であるが、これを抑制すべきです。精神科医泉谷閑示氏は、フランスの哲学者アンドレ・コント=スポンヴィル氏の哲学を踏まえて、超越的0人称への生活実践をすすめる。

★「利己主義」を抑制する4つの重層的な秩序

 人間は利己主義的である。ひとは自分の第一水準で行動する。自分のものを優先するので、利己主義となる。多数決で抑制する政治があるが、これも利己主義となる場合がある。第三水準まで利己主義がある。

第一の水準 経済―技術―科学

第二の水準 法―政治

第三の水準 道徳

第四の水準 倫理、または、愛

 経済、技術、科学は、暴走する人間がいる。それを多数決で制限する政治。しかし、多数決で、道徳にはずれる行為をする集団も出てくる。多数派で決断して他国の侵略や思想の抑圧、人権侵害などが典型である。学問の世界、研究開発の分野、経済の領域、あるいは芸術の分野でも、多数派が少数のすぐれたものを否定、排除することが広く起こっている。

 「よく観察してみれば、学問の世界、研究開発の分野、経済の領域、あるいは芸術の分野などでも、様々な「現実嵌入」が生じていて、探求することが正当に評価されなかったり、ルールに則って進めることが阻害されたり、良いものが良いと評価されなかったりといった妙な歪みがあちこちで生じていることが見えてきます。有能な研究者やスポーツ選手、芸術家などが、日本の「世間」で不当な扱いを受け、国外に脱出して成功する例も少なくありませんが、そこにこの種の問題の存在が如実に表れているように思います。」(参考書A,p92) (A,p131にも記述)

 仏教の学問にも、こうした問題が起こっていることは、すでに指摘されている。「マインドフルネス」も新しい「学問」として始まったのだが、もう利己主義の兆候がみられる。インターネットに批判がみられる。同じ歴史を歩まないように、深い大乗仏教や哲学を参照すべきだと思う。 政治の暴走を抑制するのが「道徳」(西田哲学では「良心」といっていると思う)である。また、道徳・良心は、各人の独断のものがあり、見解が違ってくる。西田哲学がいう叡智的自己の独断や道徳的自己が自己を責める苦悩があり、道徳も個人によってまちまちである。独裁的集団にも、独特の道徳があるだろう。

結局は、もっと深い「倫理」「愛」の立場こそが、真に「利己主義」でないものとなるだろう。学問も、一切、自利我利のない誠実な学問だろう。泉谷氏のいう「倫理」「愛」は、「超越的0人称」、絶対無の立場による倫理だ。日常語の倫理とは違う。

 「第四の水準の「愛」だけは、人間が本来持っている無償で利他的な特性のことを指しているわけです。」(p91)

 このように、「利他」のない宗教を学問の装いで弁護する学説があれば、泉谷氏の説からは、現実嵌入があり、利己主義的であることになる。

 泉谷氏がいう第四水準は、無償の利他の立場であるから、西田哲学でいう、絶対無の立場であると思われる。精神医学には、従来ほとんどみられなかった水準であろう。フランクルや神谷美恵子が言及していた。宗教的レベルであるので、医師は扱わず、宗教者が扱うのだと言っていた。しかし、現実には宗教者からの発言はあまり社会に伝わっておらず、医師である泉谷氏のものを見出した。

 この4つの水準を基準にして、自己の内面をマインドフルネス(観察)し、行動していくのであれば、後期西田哲学の実践と類似するだろう。こうしたマインドフルネスは、無評価ではなく、利己主義的でないかを評価する観察になるだろう。後期西田哲学であれば、至誠からはずれていないか評価する観察である。これらは、深く広いので、静かな環境で無評価でするマインドフルネスを否定したり排除することはないだろう。詩人金子みすゞも同じような哲学を持つ人であるが、「みんなちがってみんないい」という。仮説、定義の範囲内で一定の効果があれば、広く深いものには包括される。

 泉谷氏の「超越的0人称」を生活実践化するのであれば、自分や他者の意識のすべてが「利己主義」でない社会の実現であろう。そのように評価判断しなければならないだろう。そういうマインドフルネス=観察は、数々の利己主義が横行する現代の日本にまさに必要であろう。後期西田哲学の実践とほぼ同じようなものになるだろう。フランスや、そして日本には深い実践哲学があって幸いである。これの生活実践化をできるだけ多くの人が研究すべきである。難しいもの、わからないからというものを否定するのは、「未熟な0人称」の人間であるという。学問にもそれがある。 精神科医泉谷氏の発言に一筋の光明を見る。

現実嵌入= 「「現実嵌入」とは、「現実」が割り込むように嵌(はま)りこんでくることを指す言葉ですが、この「現実」とは、相手との関係や「世間」的しがらみを含むような内容のことです。」(p40)

(続く)

【参考書】 泉谷閑示(2009)『「私」を生きるための言葉―日本語と個人主義』研究社。(参考書A)
泉谷閑示(2017)『仕事なんか生きがいにするな』(参考書B)


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4333
【目次】生きがい、生きる意味、依存症、うつ自殺・・・


https://blog.canpan.info/jitou/archive/2795
欲の強い人が援助者になると支援する過程で、欲望を貪りやすい
(昔の大乗仏教者の利己心の深い洞察)
Posted by MF総研/大田 at 20:34 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL