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専門家もエゴイスト、それをいう西田哲学 [2019年08月16日(Fri)]

専門家もエゴイスト、それをいう西田哲学

 児玉氏の、情報不足の言葉があった。

 「われわれは、不適切な環境に置かれているか、不正確あるいは不十分な情報しか持っていないために、本来は持つべきではない欲求を持つことがある。逆に、持ってしかるべき欲求を持っていないこともある。」(p166)

 次の記事に見たように、初期仏教、大乗仏教の見方の違いがある。人はそれぞれを選好する。情報が不足すれば、浅いものを選好する。宗教者、学者も同様である。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2544
☆初期仏教は出離的、大乗仏教から利他がないと批判された。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3574
☆大乗仏教も否定するひともいる。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3930
☆『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会)
 本来の大乗仏教から後退した日本仏教。大乗仏教は、利他を重視した。

 選好や欲求は、個人は自由であるが、教育的位置にあるひとが、まるで、事実とか学問的であるかのように、強く主張するのは大問題である。史実、事実はどうであるのかを知りたいのが、市民だ。歪曲された事実は、市民全体を不幸にするだろう。
 大竹晋氏や竹村牧男氏の著書を見れば、いかに情報不足であるかが分かる。 狭い定義、見解であるような、自分のものを執着すれば、他を無視したり、排除する。叡智的自己である。その限界を大乗仏教や西田哲学は教える。
 学者でさえも、大乗仏教のような崇高な仏教の核心を見抜けず、後退した学派のものを選好し学生、弟子、市民に説いていて、教える側も教えられる側も情報不足になっている。 こういうことも、市民に知らされていません。

 参照の書 (児玉聡「功利主義入門 ― はじめての倫理学」) の第7章は、「なぜわれわれは援助しないのか」ということが功利主義の視点から述べられている。日本の仏教から、大乗仏教の3つの核心が失われている。そのうちのひとつ、利他であるが、「なぜ日本の仏教者は(苦悩する在家を)援助しないのか」ということを解決するのに、ヒントがあると思う。教育の問題が大きい。利他をしないこと、(それが僧学にとっては快楽、選好だからか)を自己弁護する説を学者が若い学生(僧俗)に講義しているのではないか、そうでないことを願う。そういうところの外にいるから、実態はわからないが。

 ビジネス、他の教育界では、内部告発や内部の反省によって、変化が起こっているのだが。

 現今の「マインドフルネス」は、仏教や禅にヒントを得ているという。それらの仏教や禅の学説が、もし「不適切な環境に置かれているか、不正確あるいは不十分な情報しか持っていない」ものがあるとしたら、どうなるだろうか。こういう危惧を抱くのは、当事者でない研究者、哲学者からは、仏教、禅について、かなり大きな異説があるのに、これらの情報が適切に与えられていないとしたら、ブームのマインドフルネスのように、大きな社会貢献ができる研究をしないだろう。 そういう状況は、国民全体の不幸だ。端的にいって、情報が適切に与えられれば、現代に貢献できる手法を研究する人が多くなり、うつ病などが早く治るひともいるだろうし、自殺しないですむ人もいるだろう。 竹村牧男氏がいわれたように内外での研究が急がれる。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3470
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3471

続いて、「幸福」について、精神医学者の深い洞察をみていく。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4333
【目次】生きがい、生きる意味、依存症、うつ自殺・・・

Posted by MF総研/大田 at 09:40 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL