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大乗仏教の自内證と利他 [2019年06月14日(Fri)]
★家族のうつ・自殺を予防するマインドフルネス体験会
http://mindfulness.jp/2019-hasuda.pdf ☆チラシ
 不登校、ひきこもりは、不安やうつ,トラウマによるものもあるはずです。そうだとしたら、早いうちからマインドフルネスSIMTを体験していて、解消できる不登校、ひきこもりは長引かせないようにしたい。これまでの支援活動単独では、十分でなかったから、解消できていない。協働で、サービスを組合わせて支援しませんか。支援団体のご参加も希望します。

★マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座
まもなく、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座が開始です。来年は、関東地区ではありません。関東のかたは、今年、ご参加ください。

明日、研究会です。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4243
★被災地でうつ病、不安症、PTSDなどを軽減、予防するマインドフルネス
 被災地でのマインドフルネスを提供できるというカウンセラーがおられます。カウンセラーの時間、費用が限られているので、求めるかたが真剣でないと実現しないので、現地で協働してくださるボランティア団体があればありがたいです。

大乗仏教の自内證と利他

 大竹晋氏が、日本の仏教には、大乗仏教にあったものが、失われているものが3つあると 指摘されました。「人間完成」は、特に専門家に多いのは、自分で対象論理的に構成した思想を仏教だといって、我利我執、我見、エゴイズムのこころを観察しないところにそれがあります。 そんな思想では、人々は救済されないのに、頭のいい、知のある専門家が自分で都合のよい思想を作りあげるのです。どの時代にもあったでしょう。多数の経典があり、論書があるでしょう。経典も異説のものが作成されています。文字になったものは、みな「世俗諦」であり、文字以前の事実が「勝義諦」です。後者が「自内證」されたものです。
 昔は、西田哲学のようなものはありませんでしたから、無生法忍のようなことがあることを説明することは困難でした。だから、悟りを得ても、文字での説明はしにくいので、信じてもらうしかありませんでした。信じない人は、真剣にはやらない。自内證をいう人は、いつも、少数派だったのです。法華経の常不軽菩薩は、反対者から、石を投げつけられます。しかし、盤珪、良寛、白隠のように、信じて実践して、悟りを得たひとがいました。ただ、そのひとたちの言葉は、論理的に説明するのではありません。自我を捨てる方向に実践方法をアドバイスしたのです。

 現代でも、学者、宗教者でも、西田哲学、鈴木禅哲学は難しいので、信じていないひとも多いです。関門が、絶対無を「自内證」する体験です。これを信じない人は、大乗仏教をなんとか理解しようともしないでしょう。実際の臨床にあたる、悩む人を長期間、支援することもしないでしょう。それが「利他」です。現実のクライアントに面前して「他者を支援する行為」です。室内で、論文、本を書くことではありません。

 マインドフルネスでも、禅でも、本を読み理解しただけと、実際に実践してみると、違ってくる自分を感じるはずです。言葉の理解と実践はちがうからです。知的自己と意志的自己の差です。不安症は、「不安があっても、目的に向かって行動せよ」と理解できても、現実には、行動できません。マインドフルネスには、知的自己、意志的自己、叡智的自己、人格的自己レベルがあります。無生法忍は、人格的自己レベルです。自分の「死」の問題、自己否定、他から人格を否定された問題などは、人格的自己レベルの問題で、真に解放されるでしょう。感覚、思考、行為レベルではありませんから。

 今は、自内證について、大乗仏教はどうであったかをみていきます。

般若経と大智度論の階位

 大乗仏教の初期の頃、「四種の菩薩」ということが言われました。現代日本の「禅」で、悟りとか、見性というのは、大乗仏教の経典では「無生法忍」(むしょうぼうにん)といいました。西田哲学でいう絶対無の体験です。 こういうことを、ほとんど、教えられません。つまり、日本の仏教から失なわれているうちの一つです。

 大乗仏教の修行者は、4つの段階をたどります。 新発意菩薩(または新学菩薩)、久発意菩薩、不退転菩薩、一生補処菩薩 です。

般若経と大智度論の階位

【説明】
 「大智度論」は、摩訶般若波羅蜜経(大品)の注釈書である。龍樹作とは必ずしもいえないという説もあるが、道元は龍樹作と信じて高く評価した。道元の思想を見て行く場合 大智度論との類似性も興味ある問題である。
 まず、大乗仏教の初期の階位を知ることができる。
 「大智度論」には、四種菩薩と十地の階位がある。四種の菩薩とは、新発意菩薩(または新学菩薩)、久発意菩薩、不退転菩薩、一生補処菩薩である。
 四種菩薩の階位では、無生法忍という重要な基準がある。平川彰氏は「無生法忍をうることが不退転位であることは通説である」という。
 大智度論によれば、無生法忍を得ると不退転の菩薩の位に入り、大悲と方便を備え、永久に声聞、辟支仏に落ちない。また、般舟三昧を得ると不退転に入るともいうので、大智度論においては、無生法忍と般舟三昧は同じものである。無生法忍を得ると煩悩を断じ、その後、衆生を救う。
 無生法忍を得ても、煩悩の習気は残っており、一生補処の菩薩となって修行が完成した時、煩悩の習を捨てる。一生補処菩薩は、修行が完成した菩薩であり、次生に下界に降生して成仏すべき菩薩のことをいう。大智度論によれば、人は、この世では仏にならない。もし、禅による見性体験が無生法忍であるならば、大智度論によれば、見性は成仏ではない、すなわち、「見性成仏」を否定していることになる。次の言葉でも確認される。

 真空の智慧を行ずる人は、今世には誉を致し、後世には仏と作ることを得。
【説明終わり】

 長く仏教を実践している人が「無生法忍」という体験をするのです。そのひとは、不退転菩薩になります。自内證です。経典に書いてある言葉を證明する体験です。これが、日本の仏教から失われているというのが大竹氏の指摘。わずかに、一部の禅のひとが、これを主張しています。これがないと、深い問題で苦悩するひとの支援ができません。つまり、「利他」です。自内證が利他に影響します。
 大智度論は、無住処涅槃をいうが、「これ」という枠や定義(対象的である)を作らない。だから、どのような苦悩の人にも教えを説こうとします。なぜなら、無生法忍がすべての苦悩の以前だから。すべてのひとにある「そこ」を見ようとアドバイスするのでしょう。


【目次】第4世代の認知行動療法? 第5世代?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236


【目次】第3世代の認知行動療法
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572
2020年1月発売。
すべての階層のマインドフルネスSIMTの実践ができる本を執筆中です。 感覚的自己、意志的自己、叡智的自己(専門家の自己、行為的直観)、人格的自己(絶対無、無分節を自内證し、創造的直観で慈悲実践)までをカバーする本。マインドフルネスの方法で実践できる本。
感覚的自己の瞑想は、無評価でいいですが、それ以外は、激しい評価の場面、無評価では生きていません。
Posted by MF総研/大田 at 12:40 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL