大乗仏教の自内證と利他 [2019年06月14日(Fri)]
大乗仏教の自内證と利他大竹晋氏が、日本の仏教には、大乗仏教にあったものが、失われているものが3つあると 指摘されました。「人間完成」は、特に専門家に多いのは、自分で対象論理的に構成した思想を仏教だといって、我利我執、我見、エゴイズムのこころを観察しないところにそれがあります。 そんな思想では、人々は救済されないのに、頭のいい、知のある専門家が自分で都合のよい思想を作りあげるのです。どの時代にもあったでしょう。多数の経典があり、論書があるでしょう。経典も異説のものが作成されています。文字になったものは、みな「世俗諦」であり、文字以前の事実が「勝義諦」です。後者が「自内證」されたものです。昔は、西田哲学のようなものはありませんでしたから、無生法忍のようなことがあることを説明することは困難でした。だから、悟りを得ても、文字での説明はしにくいので、信じてもらうしかありませんでした。信じない人は、真剣にはやらない。自内證をいう人は、いつも、少数派だったのです。法華経の常不軽菩薩は、反対者から、石を投げつけられます。しかし、盤珪、良寛、白隠のように、信じて実践して、悟りを得たひとがいました。ただ、そのひとたちの言葉は、論理的に説明するのではありません。自我を捨てる方向に実践方法をアドバイスしたのです。 現代でも、学者、宗教者でも、西田哲学、鈴木禅哲学は難しいので、信じていないひとも多いです。関門が、絶対無を「自内證」する体験です。これを信じない人は、大乗仏教をなんとか理解しようともしないでしょう。実際の臨床にあたる、悩む人を長期間、支援することもしないでしょう。それが「利他」です。現実のクライアントに面前して「他者を支援する行為」です。室内で、論文、本を書くことではありません。 マインドフルネスでも、禅でも、本を読み理解しただけと、実際に実践してみると、違ってくる自分を感じるはずです。言葉の理解と実践はちがうからです。知的自己と意志的自己の差です。不安症は、「不安があっても、目的に向かって行動せよ」と理解できても、現実には、行動できません。マインドフルネスには、知的自己、意志的自己、叡智的自己、人格的自己レベルがあります。無生法忍は、人格的自己レベルです。自分の「死」の問題、自己否定、他から人格を否定された問題などは、人格的自己レベルの問題で、真に解放されるでしょう。感覚、思考、行為レベルではありませんから。 今は、自内證について、大乗仏教はどうであったかをみていきます。 般若経と大智度論の階位大乗仏教の初期の頃、「四種の菩薩」ということが言われました。現代日本の「禅」で、悟りとか、見性というのは、大乗仏教の経典では「無生法忍」(むしょうぼうにん)といいました。西田哲学でいう絶対無の体験です。 こういうことを、ほとんど、教えられません。つまり、日本の仏教から失なわれているうちの一つです。大乗仏教の修行者は、4つの段階をたどります。 新発意菩薩(または新学菩薩)、久発意菩薩、不退転菩薩、一生補処菩薩 です。 般若経と大智度論の階位【説明】「大智度論」は、摩訶般若波羅蜜経(大品)の注釈書である。龍樹作とは必ずしもいえないという説もあるが、道元は龍樹作と信じて高く評価した。道元の思想を見て行く場合 大智度論との類似性も興味ある問題である。 まず、大乗仏教の初期の階位を知ることができる。 「大智度論」には、四種菩薩と十地の階位がある。四種の菩薩とは、新発意菩薩(または新学菩薩)、久発意菩薩、不退転菩薩、一生補処菩薩である。 四種菩薩の階位では、無生法忍という重要な基準がある。平川彰氏は「無生法忍をうることが不退転位であることは通説である」という。 大智度論によれば、無生法忍を得ると不退転の菩薩の位に入り、大悲と方便を備え、永久に声聞、辟支仏に落ちない。また、般舟三昧を得ると不退転に入るともいうので、大智度論においては、無生法忍と般舟三昧は同じものである。無生法忍を得ると煩悩を断じ、その後、衆生を救う。 無生法忍を得ても、煩悩の習気は残っており、一生補処の菩薩となって修行が完成した時、煩悩の習を捨てる。一生補処菩薩は、修行が完成した菩薩であり、次生に下界に降生して成仏すべき菩薩のことをいう。大智度論によれば、人は、この世では仏にならない。もし、禅による見性体験が無生法忍であるならば、大智度論によれば、見性は成仏ではない、すなわち、「見性成仏」を否定していることになる。次の言葉でも確認される。 真空の智慧を行ずる人は、今世には誉を致し、後世には仏と作ることを得。 【説明終わり】 長く仏教を実践している人が「無生法忍」という体験をするのです。そのひとは、不退転菩薩になります。自内證です。経典に書いてある言葉を證明する体験です。これが、日本の仏教から失われているというのが大竹氏の指摘。わずかに、一部の禅のひとが、これを主張しています。これがないと、深い問題で苦悩するひとの支援ができません。つまり、「利他」です。自内證が利他に影響します。 大智度論は、無住処涅槃をいうが、「これ」という枠や定義(対象的である)を作らない。だから、どのような苦悩の人にも教えを説こうとします。なぜなら、無生法忍がすべての苦悩の以前だから。すべてのひとにある「そこ」を見ようとアドバイスするのでしょう。 【目次】第4世代の認知行動療法? 第5世代? https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236 【目次】第3世代の認知行動療法 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572
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Posted by
MF総研/大田
at 12:40
| さまざまなマインドフルネス
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