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社会には様々な問題で苦しむ人々がいるのに 臨床しない専門家は「私は幸福だ」と自己満足 [2019年06月13日(Thu)]
2020年1月発売。
すべての階層のマインドフルネスSIMTの実践ができる本を執筆中です。 感覚的自己、意志的自己、叡智的自己(専門家の自己、行為的直観)、人格的自己(絶対無、無分節を自内證し、創造的直観で慈悲実践)までをカバーする本。マインドフルネスの方法で実践できる本。
感覚的自己の瞑想は、無評価でいいですが、それ以外は、激しい評価の場面、無評価では生きていません。観察のしかたが違います。

社会には様々な問題で苦しむ人々がいるのに 臨床しない専門家は「私は幸福だ」と自己満足
 =それではいけないという大乗仏教のどこにもとどまらない崇高な精神

 一般の市民が、苦しんでいるのに、専門家は、自分の学問、自分のスキルで名声、収益を得て自分だけ満足している。その傍らで、自殺、虐待、殺人、いじめ、ひきこもり、不登校、不正、多様なハラスメントによって苦しむ人々がいる。

 専門家(学者、宗教者)は自己満足するが、傍らで苦しむひとのさらに支援方法を深めようとしない、そういう状況を批判した人々がいました。ある枠組みを作って、その枠組みの外にある現実の苦悩を傍観するようなことをしがちな傾向を批判していると思います。
 仏教やマインドフルネスの学問は、まだ、真実に至っていないようです。発展が望まれます。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425
★大乗仏教の人は自分の安泰にはとどまらない
 インド大乗仏教の専門家、はすごい人でした。仏教者は自分の「これこそ悟りだ、究極だ」と対象論理的な思想や方法の満足にとどまるな、といいました。

 ポリヴェーガル理論を提案しているポージェスは、臨床の現場は、PTSD,トラウマのように無評価の枠にはまらない苦痛があり、枠内の問題には通用しても、評価の多い現場では使えない、と、トラウマのような難しい臨床はしないで満足する定義による方法を批判しました。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4052
★臨床の現場と研究者とは大きな隔たり

 垣根を作らず、広く受け入れる臨床の現場には、「無評価の観察」では通用しないクライアントが多数いることがわかる。そういうクライアントは、はじかれてしまう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3930
★日本の仏教は「利他」と「人間完成」と「自内證」が弱い=大竹晋氏
 仏教学者は臨床せずに、研究、教室にしかいない
 宗教者は深い悩みを持つ檀家信者の悩みを聴くという臨床をしない

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3183
★3つの核心を探求しないならば何をするものか?
 何かをしている。苦悩するひとはできないような「閑人の閑事業」にならないかと西田幾多郎が批判

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3379
★禅者の思想的な怠惰に対して言いようもない腹立たしさ=宗教者を叱る秋月龍a氏

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2367
★西田哲学も現実に生かされていない=西田幾多郎の孫、上田薫氏の嘆き
 西田哲学は、仏教のありかたを批判したのだから、それを現実の臨床=3つが核心か=に活かしてほしいのだろう。そうでないと、ただ思索だけの哲学になるか? 仏教を批判できない?

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3675
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3657
★仏教の学問が深まらない
 大竹晋氏が指摘した日本の仏教の問題が改革がみられない理由がここに竹村牧男氏などから指摘されている。
 ☆自由にモノが言えない日本の組織
 ☆長老主義、利他をしない思想であっておかしいと思っても批判できない
 ☆学問的論文は核心(利他、自内證、人間完成)に関係ないこと
 ☆自分たちの不為の反省ができない、等々
 ☆組織にしばられると自由な学問はできない
 ☆組織(幹部)がメンバーの自由を奪うと外部世界の変化に対応できず組織は衰退する
 ☆西田は個人悪と団体悪を指摘。個人の自由を縛るのは団体悪。
  https://blog.canpan.info/jitou/archive/3778

 宮沢賢治も、ここでは書くことがはばかれるような言葉で、宗教者を厳しく批判。

 こうした批判は、学問的といえるから、学問的に検討してほしい。狭い定義をしてその枠を超える苦悩をみないから、種々の社会問題の解決の方向が見えないように思えます。
「専門家がそういうのだから」
「専門家でさえも、打つ手がないようだから」
「相談できそうもない」
 限界づけで放棄、無視傍観されている領域、やりがいのあること、生きがいとして選択できそうなことがたくさんありそう。現在の状況に満足できないひとが多いはずです。そして、不幸な人も。
【目次】第4世代の認知行動療法? 第5世代?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236



【目次】第3世代の認知行動療法
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572
Posted by MF総研/大田 at 12:32 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL