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思惟、感情、意志、行動が絶対の無の現成 [2019年06月10日(Mon)]
★家族のうつ・自殺を予防するマインドフルネス体験会
http://mindfulness.jp/2019-hasuda.pdf ☆チラシ
 不登校、ひきこもりは、不安やうつによるものもあるはずです。そうだとしたら、早いうちからマインドフルネスSIMTを体験していて、解消できる不登校、ひきこもりは長引かせないようにしたい。

★マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座
まもなく、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座が開始です。来年は、関東地区ではありません。関東のかたは、今年、ご参加ください。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4243
★被災地でうつ病、不安症、PTSDなどを軽減、予防するマインドフルネス
 被災地でのマインドフルネスを提供できるというカウンセラーがおられます。カウンセラーの時間、費用が限られているので、求めるかたが真剣でないと実現しないので、現地で協働してくださるボランティア団体があればありがたいです。

思惟、感情、意志、行動が絶対の無の現成

 西田幾多郎に学んだ西谷啓治の言葉をみています。絶対無の自覚あるものは、自己が違う見方になります。

 体認すると、自己や世界が絶対無の現成となるので、思考、感情、意志も絶対無の影、幻,現成となります。

 「道元から5代後の峨山紹碩」の漢詩を紹介していう。

 人間的存在としての自己、現実における実在としての自己、人格から肉体までの全体が、ここでは幻人といわれている。その幻人の心識、すなわち人格や意識の諸活動、たとえば思惟、感情、意志などから感覚や行動などに至るまで、すべて等しく幻である。・・・(中略)・
その都度その都度の思惟や感情や行動は、全くの仮現、現象するものなき現象、幻人の幻識でありながら、然も絶対に時間を超えた絶対の無としての自性とその都度全く一つであり、自己同一である。」(【10:82-83】)

 道元のいう、第3段階Cの「佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。」 という部分である。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3031

 哲学者、井筒俊彦が言う「無分節の分節」である。絶対無が「無分節」言語以前の絶対的一者、「分節」が、その射影である。鈴木大拙がいう「無作用の作用」である。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3020

 日本には、こうした深い自己の哲学がある。これを哲学的に理解したり、体認すれば、差別意識、自己の無力さ、虐待されて自己否定、いろいろな原因でひきこまざるを得ないで不遇だと苦悩する人が、生まれかわれる可能性がある。知覚、思考、感情、行動、そして自分らしく思える人格などが、(つまらないとか、愛されていないとか思っていた)自我のものではなく、絶対的一者の働きなのであるから。

   ブームの「マインドフルネス」の火付け役のジョン・カバット・ジンの「全体性」は、絶対無をさすだろう。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3085
 自己、自己の作用、世界、もの、すべての元であるから「全体」というのであろう。MBSRは、2千年仏教で探求されてきた観察の入口にすぎない。そのように彼がいうので、ジョン・カバット・ジンのMBSRの背景には、絶対無の哲学がある。対人場面でない時に、「無評価」でいいが、職場、家庭、学校、病院など、世界創造の場面は、瞬間に死生が決まるので、瞬間に評価しなければならない。

 体認するためには、評価の現場、家庭、職場での自我の評価を捨てるトレーニングが必要である。「そのまま無評価」ではなく、独断的な評価に気づく訓練となる。西田幾多郎は「至誠」という。「独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて行動するという。対人場面で行うのだから簡単ではない。自分の見方、考え、行為を世界の立場となって評価しなければならない。普通、人間は、自分には、自己中心的ではないと思っているが、とんでもないことで、自我の眼、エゴイズムの心理の色眼鏡で見ている。自己否定、自己の死(がん、難病、自殺)を意識するひとなら真剣だから、わかるはずである。自分は幸福だと今の自分に満足しているひとは、動機づけがないので、真剣にはならないのは無理もない。自己の底に闇を感じるひとは真剣だろう。

文献
西谷啓治(1987)『西谷啓治著作集』創文社、【巻、ページ】で示す
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2734
★人格的自己のマインドフルネス(自己洞察)
マインドフルネスSIMTはここまでカバーする。これでないと解決しない苦悩があるからです。 そういうものが不要というのは、「私は難病にかかっていないから難病の治療法の開発は不要だ」ということに似ていませんか。そのような深い問題に目を向けないひとのエゴイズムではないでしょうか。身体の病気だけで苦悩するのではありません。精神の深い苦悩の中にあるひともいます。精神医学や宗教のテーマではないでしょうか。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425
★大乗仏教の人は自分の安泰にはとどまらない
 インド大乗仏教のひとは、「これが悟りだ、これこそ真理だ」としては留まりませんでした。専門家は自分の幸福(スキル、思想、地位、収入などを得た)で満足しがちですが、世界に目を向けると自分が持つもので救済できる可能性があることで苦悩するひとがいます。自分の苦悩ではないからといって無視傍観はしませんでした。大乗仏教の精神が失われているようです。
むしろ、がんや難病の治療の研究開発をする医師に大乗仏教の精神がみられるように見えます。自分はその病気ではないのに、研究に尽力しておられます。宗教者や精神医学者、マインドフルネス者は?

【目次】第4世代の認知行動療法? 第5世代?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236


【目次】第3世代の認知行動療法
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572
Posted by MF総研/大田 at 17:49 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL