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絶対的一者の現成である人格的自己 [2019年06月09日(Sun)]
★家族のうつ・自殺を予防するマインドフルネス体験会
http://mindfulness.jp/2019-hasuda.pdf ☆チラシ
 不登校、ひきこもりは、不安やうつによるものもあるはずです。そうだとしたら、早いうちからマインドフルネスSIMTを体験していて、解消できる不登校、ひきこもりは長引かせないようにしたい。

★マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座
まもなく、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座が開始です。来年は、関東地区ではありません。関東のかたは、今年、ご参加ください。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4243
★被災地でうつ病、不安症、PTSDなどを軽減、予防するマインドフルネス
 被災地でのマインドフルネスを提供できるというカウンセラーがおられます。カウンセラーの時間、費用が限られているので、求めるかたが真剣でないと実現しないので、現地で協働してくださるボランティア団体があればありがたいです。

絶対的一者の現成である人格的自己

 西田幾多郎に学んだ西谷啓治の言葉をみています。絶対無の自覚あるものは、自己が違う見方になります。禅で真の自己とされます。西田幾多郎がいいだしたのでしょうが、哲学では「人格的自己」といいます。西谷啓治の説明をみます。
 絶対無を体認すると、自己やもの(世界)や他人の観方の転換が起こります。そういう意味では「認知」が変わるわけです。「認知行動療法」の枠内にとどめてもかまわないでしょうが。 つまらない自分と認知していたのが、絶対的一者、絶対無のものとなります。これは、真の悟りを体認した人の見方です。

 「かかる絶対の自性における自己は、通常の人格的あるいは意識的な「自己」、いわゆる「自我」ではないが、しかしまたその「自己」と別なものでもない。それは他人ではない。それは他人でもなく「また他人でもない。(大田注:それは【他】人ではない。それは他【人】でもなく「また他人でもない。【 】の字に強調の点がついている)
 「というのは、自己と他人とは「人間」としては互いに全く別であるが、「人間」(つまり意識的人格)は、彼自身のあらゆる生ける活動やあり方そのままで現象である。「人間」ならざるもの(絶対の無)と一つに現成しているものである。そこから見れば、すべての人間は、人間としてのそのリアルな如実相そのままで、人間ではない。つまり現象するものなき現象としての人間なのである。我々は通常、意識的・人格的な自己の立場に立っているから、自己と他人を「人間」として絶対に二つなる存在としてのみ捉えている。しかし一層此岸から見れば、自己と他人とは「人間」として絶対に二でありつつ、同時に二なるままで、「人間」ならざるものとして絶対に不二である。」【10:83-84】

 自分も他者も、(種々の苦悩を持つひとが思うような)つまらないものではなくて、絶対無(大乗仏教では「仏」といっている)の現成したものと認識される。自己や他者の見方が、大きな変化を起こす。だから、これで列挙したところの苦悩する人々が救済されると思う。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4240
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4252

 自己、他者、もの(世界)の認知が変化するので、行動も変化するだろう。上記の種々の苦悩には、苦悩ゆえに、行動も苦しいものであるだろうが、自己、世界の認知が変わるので、当然に、行動も変化するだろう。すなわち、最も深い「認知行動療法」と言えるはずである。おそらく、もう、自分のことで苦しむ行動はせずに、他者の支援行動をするのではないだろうか。

文献
西谷啓治(1987)『西谷啓治著作集』創文社、【巻、ページ】で示す
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2734
★人格的自己のマインドフルネス(自己洞察)
マインドフルネスSIMTはここまでカバーする。これでないと解決しない苦悩があるからです。 そういうものが不要というのは、「私は難病にかかっていないから難病の治療法の開発は不要だ」ということに似ていませんか。そのような深い問題に目を向けないひとのエゴイズムではないでしょうか。身体の病気だけで苦悩するのではありません。精神の深い苦悩の中にあるひともいます。精神医学や宗教のテーマではないでしょうか。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425
★大乗仏教の人は自分の安泰にはとどまらない
 インド大乗仏教のひとは、「これが悟りだ、これこそ真理だ」としては留まりませんでした。専門家は自分の幸福(スキル、思想、地位、収入などを得た)で満足しがちですが、世界に目を向けると自分が持つもので救済できる可能性があることで苦悩するひとがいます。自分の苦悩ではないからといって無視傍観はしませんでした。大乗仏教の精神が失われているようです。
むしろ、がんや難病の治療の研究開発をする医師に大乗仏教の精神がみられるように見えます。自分はその病気ではないのに、研究に尽力しておられます。宗教者や精神医学者、マインドフルネス者は?

【目次】第4世代の認知行動療法? 第5世代?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236


【目次】第3世代の認知行動療法
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572
Posted by MF総研/大田 at 18:40 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL