• もっと見る
«情報遮断、事実は幸福でない、知らされないで幸福感 | Main | 深い問題に関する苦悩 »
西洋人は東洋のものを求める、日本人が捨てるものを求めて [2019年06月05日(Wed)]

西洋人は東洋のものを求める、日本人が捨てるものを求めて

 西田幾多郎に学んだ西谷啓治のいうことを続けてみておきます。
 西洋人は、マインドフルネスもそうですが、深い宗教哲学も日本のものを求めています。日本人が、捨てたもの、大竹晋氏が、大乗仏教にあって、日本仏教で捨てたものも。
 自己の外にあってさばく神を信じなくなってきた西洋人が、東洋の深い宗教に真剣なまなざしを注いできた。多くの日本人が捨てた深い宗教哲学、自己の内、根底にあって包む絶対的一者を。

 「知性の科学化とそれによる人格の分裂に悩む現代の西洋人が、東洋に関心を向けはじめている理由はそこにある。これに反して、現代の日本人は、その同じ客観知の「知性」とその立場での進歩を追って、自らの宗教や文化の伝統に含まれる真実なものを忘れ、かの進歩の裏側で、人間の本質的な点に関して、頽廃の方向に進みつつあるとしか思われないのである。」(p100)

 この文が書かれたのは、1960年ですが、東西の宗教の深い部分の対話をする状況は、その後も続いている。日本の禅哲学者がヨーロッパにいっている。「禅とキリスト教懇談会、東西宗教交流学会」に参加している。秋月龍a氏のスイスでの国際対話集会における特別講演の題目は、「仏教とキリスト教の宗教としての共通の根拠」だった。(注)
 宗教の違いや障害によって、差別されたり、テロが行われたりしている。宗教の違いがあっても、障害があっても、人間の根源は平等であることを宗教哲学が確認することは重要なテーマである。表層の違いだけが鮮明になって差別し、争い、テロを行っているが、深いところでは、すべての人間が平等であることを確認することは重大なことである。前記の東西の霊性交流で深い宗教的人間観が議論されていることを、多くの仏教者もマインドフルネス者も知らない状況であるが、この状況も変えていかねばならない。日本にはとてもすぐれたものがあり西洋も注目しているのに、日本人が捨てている。


秋月龍a(2001)『現代を生きる仏教』平凡社ライブラリーの中で、竹村牧男氏の「解説」の中で(p212)。

文献
西谷啓治(2001)『宗教と非宗教の間』岩波現代文庫
【目次】第4世代の認知行動療法? 第5世代?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236


【目次】第3世代の認知行動療法
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572
Posted by MF総研/大田 at 22:12 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL