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どう生きるかという問題ではなく、そもそも「私」は何者かで苦 [2019年05月30日(Thu)]
★家族のうつ・自殺を予防するマインドフルネス体験会
★主催:マインドフルネス総合研究所
★後援:埼玉新聞社、蓮田市教育委員会、日本マインドフルネス精神療法協会

宗教レベルのマインドフルネス(2)
第4世代の認知行動療法? 第5世代?
 =どう生きるかという問題ではなく、そもそも「私」は何者かで苦悩

 「どう生きるか」「なぜ生きるか」「何をしたいのか」という問題(これは当為、当為価値の問題)ではなくて、もっと深い問題で苦悩する人、時があります。
 当為では悩んでいない、ちゃんと仕事もしている、家庭を持っている。それでもある深い苦悩。

1.なぜ、私は親からさえも愛されないのか(言葉、暴力で虐待される)
2.なぜ、私はわが子さえも愛することができないのか(虐待する)
3.なぜ、私は配偶者に暴力をふるうのか、暴力をふるわれるのか(パーソナリティ障害の一部にみられる加害、被害の苦悩)
4.障害やLGBTであるがために差別される
5.死が近いと思う、何をするかどころではない!
6.自分の出自がわからない、出自を肯定できない。
7.大切な自分をなぜ、自殺させるのか
8.宗教、思想や国の違いで、なぜ、殺し合うのか、なぜ、他者の生命を大切にしないのか
9.なぜ、モラハラ、セクハラ、アカハラなどが絶えないのか。他者の人格を肯定しているのか。

 こういう苦悩は、感覚、思考、行為レベルではなくて、自己存在レベルですから、苦悩はとても深いです。浅いマインドフルネスでは効果が期待されないだろうと思います。仕事、集中力の問題ではありません。

 深く悩むのに、専門家は地位も職も家庭も安泰らしくて、満足していられて、こういう苦悩をみてくださらないです。ご自分はハッピーだと感じておられます。
 しかし、そういう事態を大乗仏教は批判します。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425
★大乗仏教の人は自分の安泰にはとどまらない

 仏教の修行をしない専門家は自分の家庭、自分の仕事がうまくいけば、それで満足してもいい(それは大乗仏教者でない叡智的自己)ですが、大乗仏教の人(僧侶、学僧、信者など)は、それではいけません、と言っているのです。仏教学者は、仏教とはこういうものだと思想の解釈をして、行動レベルの実際の支援行動(臨床です)をしないで満足しますが、それではいけないというのです。苦悩するひとの悩みが解決しませんから。あなたの仏教は、思考レベルの解釈で自己満足するところ(自我の立場)までですか。それで職、地位、収入が得られるから満足なのですね。しかし、苦しむ人が見えないのですか(世界の立場)。それでも「私は満足だ」というのですか。
 次に、学者でない大乗仏教者(学者ではない仏教者)は、たとえば、「坐禅が窮極の真理」だといって、坐禅を教えるとします。それで、上記の人の苦悩が救済されますか、世界に目を広げると、坐禅だけでは、苦悩が解決しない人が多いというのが見えませんか、それいいのでうかというのが大乗仏教の論書が言っていると思います。そういうふうに大乗仏教者は、自分だけの価値にとどまらないのだというのです。「利他」の臨床の向上が未熟だ、もっと工夫が必要だとして、さらに努力すべきだというのでしょう。もっともな批判に見えます。一体、何のために大乗仏教者になったのかという問いがあります。
 日本の仏教は、大乗仏教の経典と比べて、自内證、利他、人間完成の3つが弱いということが指摘されました(大竹晋氏)。無住処涅槃が大乗仏教の精神です。どのような平安にも留まらずに、世界を見て他者の苦を想い、支援を続けるところに悟りを見出す大乗仏教のありかた。

 大乗仏教の人でないならば、こういう教えがないのですから、やむをえません。自分のしたいことが成功して、地位、収入、安心を得て、幸福だという叡智的自己の特徴ですから。しかし、それでは、上記のような「存在」レベルの苦悩を持つひとは誰が臨床支援するのでしょうか。大問題です。 昔の大乗仏教のひとは、人間の苦悩は深いものがあるから、仏教者は、自己の満足にとどまってはいけないということを知っていたのです。
 ここです。現代の「マインドフルネス」も、このレベルをも研究開発していかねばならないのだと思います。こういう点では、今もなお、大乗仏教がいうほどには、人間は成長、成熟していません。だから、大乗仏教者は、利他も人間完成も終わらないといっているのではないでしょうか。仏教の深い真意は、ごく一部の研究者が指摘しましたが、その利他の具体的な実践方法は市民に提供されていません。ブームになった「マインドフルネス」を発展させていくところに突破口があるようです。具体的な「利他」は完成していないでしょう。

 大智度論のような、やはりすぐれた「古典」を読むべきです。貴重な宝が現代の専門家の自我の独断の解釈で否定されます。


【目次】第4世代の認知行動療法、第5世代の認知行動療法?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236
Posted by MF総研/大田 at 06:59 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL