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(9)ガブリエルは日本の哲学を教えてほしいという [2019年02月25日(Mon)]
NHK Eテ レビの「100分de名著」でのスペインの哲学者「オルテガ」の放送は本日が4回目, 最終回です。 (26日の真夜中0時10分から再放送があります。)
 テキストによれば、4回目のテーマは「保守」。 まだ読んでいませんが、とりあげている中で気になるサブテーマは「マスメディアの発達が民主主義を破壊する」というものです。オルテガによれば、「大衆」は大学で自説のみを学生に教えて学生は批判的な様々なものを知る機会を失います。マスメディアも偏ると「画一的なメディアの情報だけを受容するような」傾向が生れます。「大学」も「メディア」も??
 現代日本も対策をとりたいものです。インターネットも誤ったことを伝えているとか。このブログもインターネットですが(汗!)。硬派?の雑誌ができても大衆受けでなく廃刊になっていきますし。どうすればいいのか。難しいことです。

(9)ガブリエルは日本の哲学を教えてほしいという

 タイトルを入力しないといけないので。気まぐれで変わるかもしれません。ドナルド・キーンさんや村上春樹さんの発言が気になります。 今日はオルテガの3回目の放送の内容にコメントする予定でしたが、「死者の民主主義」ですので、これと関連するので、ガブリエルもを先にみます。

 ガブリエルは日本のひとがすべきことをいくつか述べています。哲学が必要だと言っていました。だから、我々日本人は哲学を持つことをしなければならないというのです。 そして、ドイツの人に教えてほしいというのですから、それをしなければなりません。

 「こうした対話が相互的になるように、たとえば、日本の哲学者をドイツでも必要としているんだろうね。日本の哲学者にドイツ社会を見てもらうこともね。日本は自身のことだけで閉じこもるのではなく、僕たちの国へも来て、僕たちをどのように受け止め、理解したのか、僕たちに教えてほしい。
 相互理解を試みる対話は、常に、対称的でなければならないんだ。」(p87)

 日本の哲学をガブリエルは何を想定しているだろうか。多分、西田哲学も含むだろう。あるいは、これこそ期待している日本哲学かもしれない。京都大学の訪問の時、その名が出ていた。 また、参考書(B)を読んだが、ガブリエルが問題にしている「世界」は存在しないか、するかの哲学に関連するのは、西田哲学ではないかと思う。西田哲学でも、我々が対象的に見る「世界」は実在ではないとしている。だが、ガブリエルが(B)で言っていないことが西田哲学では、その先がある。対象的な世界は単独で存在する実在ではないが、それらを包括する絶対に対象的存在にならないが働きが根底から働いている。エクハルトも中世ドイツの神学者であるから類似することをガブリエルは当然知っているはずだ。
 こうして、ガブリエルは、日本の哲学を教えてもらいたいという。日本人が するべきことだ。
 ところが、ガブリエルは、日本に昔あった深い哲学が、現代の日本人からその深い哲学が失われているのではないかと疑ってもいるようだ。日本の訪問で感じたことだ。

 ガブリエルは、我々が日本にあった過去の哲学を掘り起こすことを要求している。みようとしたオルテガの3回目もそうだ。死んだ偉人が、貴重なものをもっていた、教えていた。それを捨てて、「やさしいのがいい。面倒な哲学をいうのは一般人には難しいからやめよう」などと多数決で深い哲学(西田哲学のような)を排除すれば、まさにオルテガのいう「大衆」になるだろう。方向を示す哲学があった。それを尊重しなければならない。

参考書
(A)『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』丸山俊一、NHK出版新書

(B)『なぜ世界は存在しないのか』マルクス・ガブリエル、清水一浩訳、講談社
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4094
【目次】ドイツの哲学者ガブリエルと西田哲学
 =日本的マインドフルネスの構築のために



https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
【目次】NHK Eテ レビの「100分de名著」
「大衆の反逆」スペインの哲学者オルテガ、中島岳志、NHK出版
 多数という「驕り」
Posted by MF総研/大田 at 07:45 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL