CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«(5)ガブリエル「瞑想」を語る | Main | (7)自分自身の意志を行使せよ、独断的な「権威・壁」に従わず »
(6)ガブリエル「渋谷スクランブル交差点」で哲学を語る [2019年02月16日(Sat)]
NHK Eテ レビの「100分de名著」での「オルテガ」の放送。 (17日の真夜中0時10分から再々放送があります。)

ドイツの哲学者ガブリエルと西田哲学
 =日本的マインドフルネスの構築のために

(6)ガブリエル「渋谷スクランブル交差点」で哲学を語る

 2月4日のNHK Eテレビで放送された、哲学者マルクス・ガブリエルの言葉を見ています。西田哲学に似たところがあります。ドイツはアメリカ一辺倒から自立したけれど、日本はまだですね、と言っています。哲学もアメリカではなくて、日本とドイツが似ているそうです。

 ガブリエルは、渋谷のスクランブル交差点を高い位置から見たかったそうです。そこでも、哲学を語りました。

https://response.jp/article/2018/04/27/309143.html
 スクランブル交差点を上空から眺めたところです。本には、同様の似た写真が掲載されています。
 これと似た風景を彼は観たのです。人間の哲学を推定できるところだ。電車の人々の砂粒のようなありさまは、はるか上空から見たとすれば、という想像でした。しかし、この風景は眼で見た現実です。しかし、人間の夢も欲も苦悩も見えません。砂のような点々です。

 「スクランブル交差点を見下ろすところに来たね。これこそまさに、神の視点だろう。これはまさしく僕の哲学の中で「意味の領域」(フィールドオブセンス)と呼ばれるものに合致している。様々な「意味の領域」があり、それらはここで交差している。」(p47)

 さて、私(大田)の解釈です。多くの砂粒の点々は人間ですね。でも、みんな砂粒のようですから、個性も人格も「殺されて」います。「死」の瞬間です。空間的です。絶対否定です(西田哲学ではさらに根源の絶対無をいいます。「無分節」です。この写真は、点々や建物が映像で分節されていますからまだ「無分節」ではありません)。この一瞬は、時間が流れません。空間的ですが。
 しかし、この粒は、「人」です。「自己」です。それぞれのひとは、この前の時間には、職場にいて、意味の場にいたのです。組織の任務を果たすように自分の価値を遂行していたのです。「時間的」にどう見て考えて行動しようかと評価の場所にいたのです。ノルマ、指令、感情、欲求、エゴイズムがうずまきます。無評価では生きられない時間です。「生」の場所です。そして、ここ交差点に来た。各人の仕事の智慧、スキル、個性など見えません。何百もの個性、意味を持ったはずの人間たちが、ここで、交差しています。そして、また、別れて家に帰ります。各人の家には、それぞれの違う意味の場所です。家族が違う、見る考える行為もみな違っています。

 一応、ガブリエルはこういうありさまを説明しようとしたのでしょう。西田哲学はさらに考察を深めています。交差点のような自己の死は、交差点でも職場(家庭)でも、いつもあるのです。職場(家庭)だって、「神の視点」から見れば、そこでも、人間は砂粒です。
 このように、ガブリエルをさらにすすめると、日本の西田哲学と似てきます。すべての人間に「神の視点」が与えられている。しかし、そこが見えていない。仏教、禅もそれをいうのだが「大衆」(オルテガ)が理解できないと否定している。こういうことを言ったオルテガは大学を追われた。現代日本でも、このような深いことをいう人は、大学にはほとんどいないのかもしれません。

『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』丸山俊一、NHK出版新書
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4094
【目次】ドイツの哲学者ガブリエルと西田哲学
 =日本的マインドフルネスの構築のために

Posted by MF総研/大田 at 09:22 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL