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(3)俳優 井浦新さん 「いつも謙虚でいなさい」 [2019年01月31日(Thu)]

無評価の観察のマインドフルネスは家族、職場、学校、病院などでは両立しない
(3)俳優 井浦新さん 「いつも謙虚でいなさい」

 俳優 井浦新さんは、祖母から言われた「いつも謙虚でいなさい」という言葉をよく思うという。 (朝日新聞、夕刊、2019/1/31)

 何かがあると、この言葉を指針としておられる。自分の考えや行動を「評価」しているわけです。「謙虚さとは何か。今も模索中だ。」という。
 西田幾多郎は、「至誠」が日本人の実践指針だといった。似ているような気がする。 欧米のマインドフルネスを良いと「評価」する人は、違うというであろうか。 見るのは、無評価でいいが、自分の言葉や行動は「見る」のではないと言われるだろうか。 だが、西田哲学は、見ることと行為とは矛盾するようだが、一つであるという。そういえば、 自分が言葉を発したり行動をした瞬間、それが自分に聞こえる、自分の行動が見える。確かに対人場面では、自分の発言や行動を観て、謙虚、至誠であるか評価したほうがいいのだ。できれば、表現する前に、また、現在進行形で。次善には、後で「謙虚であったか」と反省するのだろう。前にも、現在も後でも「謙虚」であるか評価しない人は、おつきあいしにくいことだ。
 対人関係や仕事の場面でも、「無評価」の人は、恐い。多分、自分の意志で、評価しているだろう。それとも他者のいいなりなのだろうか。不正をしても反省しないし、不正を見ても見て見ぬふりし、パワハラ、セクハラでも偏見の意見でも反省も評価もないのだろうか。無評価のマインドフルネスを強調した人が不正をし、それを見た仲間が見て見ぬふりするおそれがある。無評価を強調するから悪いとは思わないのではないか。

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【目次】無評価の観察のマインドフルネスは家族、職場、学校、病院などでは両立しない
 =ポリヴェーガル理論の証明


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★ポージェスのポリヴェーガル理論
 =無評価観察のマインドフルネスは評価する・される場では両立しない
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Posted by MF総研/大田 at 20:12 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL