昨年度自殺統計、子どもの自殺が減少しない
[2019年01月19日(Sat)]
子どもの自殺防止対策
=昨年度自殺統計、子どもの自殺が減少しない
昨年度の自殺者数が発表されました。
https://www.asahi.com/articles/ASM1L33T4M1LUTFK004.html
★朝日新聞ニュース=昨年度の自殺者数
50代の自殺も多い。
原因、動機別では「学校問題」「健康問題」が多い。
人は生きたい、社会で活躍したい、と思うもの。思わなくても活かす力が働いている。
それなのに、自殺するのは、病気からだ。自殺は、うつ病になっているためであることが多い。生きる場所がつらいのだ。独断偏見、自己中心性が充満する社会、学校も職場もインターネットで侵入してくるプライベートな場所までも。
対人交流の場に出ると、ひどいことを見る、聞く。つらい感情が起きるが、それの起きるありさまを「評価」し、うまく生きのびる行動は何か「評価」して選択して発語、行動しなければ、つぶれてしまう。
親も教師も忙しいから、子どもの内面のうめきを聞き取り、言葉や表情に現れる、または隠される「本音」(つらい、行きたくない、死にたい)を「評価」する余裕がない。学校の仲間からもいじめられる。
対策が必要だ。
いじめられるとつらい。「こういうことを自分がされるとつらいではないか」、「居心地のいい学校にしようよ」、だから、「いじめるのは止めよう」という「自殺予防教育」を学校でやってもらえないだろうか。
それとも、「自殺が多い」という記事を見ても「無評価」で観察して、流してしまうのが「科学的」生き方なのだろうか。何も感情が起きないのだろうか。自分の家族が自殺したらつらいなと共感の感情が起きないのか。起きても「無評価」なのか。感情を無評価で観察して、流してしまい、自分は自分の仕事ができて満足なのだろうか。社会全体の不条理jは「無評価」なのか。
自分の頭で考えて、社会の不条理を「評価」観察して改革の行動をしなくなる傾向を助長しかねない観察方法を「科学」というのだろうか。一人でいる時の観察と対人場面での観察のすべてをカバーする「科学的」観察方法はどういうものか。本当に、真剣に、「観察」「評価」とは何か、すべての場面でそれでいいのか、「自己」とは何か(ACTや仏教、西田哲学が提案)を議論すべきである。「見て見ぬふり」も「評価」しているのだ。社会の中で生き、社会を作っていくためには「評価」は避けられない。
今年こそ、古く鎌倉時代から日本人の頭で考えぬいてきて、西田哲学、鈴木禅哲学、井筒哲学として発表された、よき(これも「評価」)日本の観察方法を発掘していきませんか。
それが不十分であると「評価」するのなら、それを学問として発表していただいて、その批評も評価して、よき(これも「評価」)観察方法を作っていきましょう。
私は学者ではない、「科学」がわからない。今年から「科学」「学問」も教えていただきたい。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
★関連記事【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4355
【目次】子どもの自殺防止
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Posted by
MF総研/大田
at 08:48
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自殺予防対策
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