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新しい本を出版いたします= 日本の鈴木禅哲学、西田哲学による実践は「評価社会でするマインドフルネスである」 [2018年12月29日(Sat)]
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3976?1541731623
★2019年1月26日、宮城県大崎市のお寺(真言宗)で、マインドフルネスSIMTの体験、説明会。
 (お申込みがありましたので、開催決定です=12月12日、付記)

=初心者向け体験のほか、専門家向けの「マインドフルネス」の問題点、講座のガイダンスも。
お寺を「マインドフルネス」のために解放してくださっています。
2019年に、講座を宮城県で希望がありますか。 2019年は、希望があれば、埼玉、宮城で開催。

★2019年1月13日は、専門家向けの講演
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouen/2019-1-13-kouen.pdf
 (お申込みがありましたので、開催決定です=12月12日、付記)

=僧侶、学者、マインドフルネスの推進者、医療関係者など
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3630
★人間のエゴイズムはすさまじい、生命までもうばう。
不正、うそ、いじめ、自殺、パワハラの蔓延する日本社会。マインドフルネスでさえも金儲け。 元来、人々の悩みを解決するためのヒントがあったはずなのに活用されていない、従来の仏教の問題を超えていくために
日本の社会問題の解決のための「マインドフルネス」
自分の役割は何か、自分の組織の使命は何か、それぞれにどういう方向があるか。
現代の日本的なマインドフルネスの展望。

2019年3月1日、アメリカの大学院心理学専攻の学生および教授へ、日本独自のマインドフルネスSIMTの講義。
(日本型マインドフルネスは欧米のものより深く、講義だけではわかりにくい。そこで、講義前に読んでいただくreading materialを作成し終え、英文に翻訳作業中。)

新しい本を出版いたします= 日本の鈴木禅哲学、西田哲学による実践は「評価社会でするマインドフルネスである」

 ポリヴェーガル理論を提案しているポージェスが、「無評価で観察」のマインドフルネスは 評価する/評価される場所では両立しないといっています。
 欧米型マインドフルネスは安全な場所で行うものだということがポージェスによって指摘されました。
(この点については、上記の講演会、講義でも触れます。)

 日本的マインドフルネスは、評価される/評価する心理を現場で観察するから、うつ病やPTSDも改善するのだろうと、アメリカのひとにも伝えることができます。SIMTで重視している「本音」の自己洞察です。翻訳案として、本音は ”True Intention” (TI)となっています。

 今朝、1時間半、坐禅(SIMTでは、基本的自己洞察といいます)していたら、ひらめきました。短い時間、坐禅中に考えました。こういうのは、妄想ではありません。創造的思考になります。価値実現的思考になります。坐禅中は短時間です。

 来年、新しい本を出版することが進行中です。その本の中で、この「評価の現場での評価するマインドフルネス」ということを鮮明にしようというのがひらめきです。

 「無評価の観察」のマインドフルネスも重要です。一定の効果が世界中で検証されています。これは、SIMTでもあります。基本的自己洞察(呼吸法、マインドフルネス瞑想)といいます。しかし、SIMTは、これだけではありません。「行動時自己洞察」が重視されます。ここで強調されるのが、本音(TI)の観察です。

 SIMTは、MBSRの静座瞑想、ボディスキャン、ヨーガのような、安全な場所でする社会的交流でない場面での観察も実践します。ここは、SIMTもMBSRも似ています。(違うところもあります)。欧米の無評価観察がいいと「評価」するひとたちが、これを用いていくでしょう。仏教にも、東南アジア仏教、大乗仏教、日本仏教とあって、みな存続するように、MBSRもこれを「価値があると評価」する人々によって存続し続けるでしょう。

 行動時自己洞察は、評価するされる心理を観察するマインドフルネスです。MBSR、ビパッサナー瞑想などを推進する専門家も、対人場面で、必ず、評価を起こしています。

 評価は、自己の深さにより、階層があります。鈴木大拙は、感性的自覚、知性的自覚、霊性的自覚といいます。前2者は、対象的、二元的自己です。霊性的自覚が、悟りの体験をした自己の自覚です。西田哲学では、人格的自己の自覚です。西田哲学は、もう少し、階層をわけます。知性 的自己をさらに、思惟的、意志的、叡智的自己に分けます。ここまで、宗教的ではありません。ここまで、独断的評価、本音を用います。これらの全貌を、新著で明らかにします。 専門家、学者が自分のものに執着すると、「叡智的本音」です。自己の学説への執着であり、他の学説への「嫌悪」「無視」です。

 マインドフルネス、仏教、禅の専門家も、みな、「評価」を起こしています。それが、一面には、学問を発展させて、人々の救済をします。しかし、自分のものに執着すると、その枠にはまらない問題の解決を妨害することになります。気がつきにくい、我利我執です。 これも、社会を害する隠れた本音ですから、観察して気づかなければなりません。日本的マインドフルネスはそこまで含みます。鈴木大拙は次のように、言っています。「我」は「が」です。

 「我という甲殻の中に閉じ込められて、外界を知らないものには、いつも一種の猜疑・恐怖の念があります。そうしてそれと同時に自分に対しては相当以上の評価をしようとする自惚れがあるものです。自ら外に通ずる途を塞ぐものは、こうなるのが当然です。」『仏教の大意』角川ソフィア文庫,p141

 善良な人を閉じ込めるのは、反社会的カルトだけではないのです。学問、科学の名においても、悩みを持つ人々を閉じ込めることが起こります。精神科医も指摘しておられます。

 来年の新著では、「マインドフルネス=観察」「評価=本音」「自己」の全貌についての世界図のようなものの概要を掲載したいと思います。
 対人場面でない安全な場所での「無評価観察」のほかに、社会的交流の場面においては相手にも自分にも「評価」があることを「評価観察」することが、心の病気にならず、他者を苦しめず、共生する社会を建設していく人生を生き抜いていくために必要であるということです。日本の哲学が教えるところです。

 がん患者さんの10年20年にわたる生活でも、本音を評価しマインドフルネス=観察するが役に立つと思います。SIMTは深いので、すべてのひとができるわけではありません。マインドフルネスの各流派が、得意とする領域がありますので、それぞれを尊重して共生していきたいと思います。


【ポージェスの言葉】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4056
★欧米型マインドフルネスは安全な場所で行うもの/ポリヴェーガル理論

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4054
★無評価のマインドフルネスは、生存のために良い評価を得なくてはいけないという防衛状態とは両立しません

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4052
★臨床の現場と研究者とは大きな隔たり

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4050
★専門家は自分の選んだ価値を実現して喜ぶが・・・・
 「科学者たちはこの分野を研究したくない」




https://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】
Posted by MF総研/大田 at 07:54 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL